【講師】 |
『【講演1】北里柴三郎の偉業と現代医学への足跡 』
感染症対策の基盤を築く
北里柴三郎は1886年、ドイツのベルリン大学コッホ研究所に留学。微生物研究に打ち込み、破傷風の原因となる病原体「破傷風菌」を発見しました。破傷風は特徴的な全身硬直(まひ)を起こす疾患で破傷風菌が傷口などから体内に入ることで発症します。
北里が留学した当時、破傷風の原因は病原体ということまでは分かっていましたが、病原体の特定には至っていませんでした。嫌気性菌である破傷風菌は、酸素のある環境下で芽胞[がほう]という固い殻の中に閉じこもって土壌中に潜んでいます。
北里は89年、破傷風菌が嫌気性菌であることを発見。酸素を排除できる装置を開発し、破傷風菌の純粋培養に成功しました。このシステムは現在の医学研究にも大いに活用されています。
翌90年、北里は破傷風とジフテリアの抗毒素(毒素を中和する抗体)による血清療法を確立。一緒に研究したベーリングはその功績が認められ、第1回ノーベル医学賞を受賞しましたが、北里は対象とはなりませんでした。
抗毒素製造の手順は、まずウマに弱い毒素を注入。できた血液中の抗毒素を精製して患者に投与します。
抗血清による血清療法の確立により予防医学は進展。1920年にはフランスの研究者ラモンがジフテリアのトキソイド(毒素を不活化したワクチン)開発に成功しました。その後、破傷風・ジフテリア・百日ぜき3種混合ワクチンが開発され、今年から、それにポリオとヒブを加えた5種混合ワクチンが登場。日本で定期接種に使用されるようになりました。
ワクチンの普及によって日本での破傷風は激減しましたが、それでも50歳以上で年間100人余りの発症が報告されています。先進国の中では多い方とされ、50歳以上の人たちにワクチン接種が十分に行われていなかったか、加齢によりワクチンの効果が低下したためと推測されています。
北里は1892年に帰国。福澤諭吉の尽力で伝染病研究所(現・東京大学医科学研究所)を設立。研究所に志賀潔が加わり、ジフテリア、破傷風、腸チフス、赤痢、コレラ、ペスト、ハブ毒、レンサ球菌の抗血清が製造されました。研究所には野口英世も入りました。後に野口はアフリカでヘビ毒の抗毒素治療を普及させました。抗毒素療法は細菌感染をはじめ、ヘビ毒素、昆虫毒素、海洋生物毒素に治療のすそ野を広げていきました。
北里柴三郎は抗毒素治療からワクチン開発による感染症対策の基盤を築き、予防医学に偉大な業績を残しました。