肥後医育塾公開セミナー

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平成18年度 第1回公開セミナー「医学的見地からみた水俣病」

【講師】
熊本大学大学院医学薬学研究部 神経内科学分野教授
内野 誠

『「水俣病の臨床?水俣病研究の足跡をたどって」』
小型の神経細胞に障害 期待される今後の研究 障害型を多角的に分析


  中核神経症候

 メチル水銀の沈着しやすい部位として、成人の場合、大脳では後頭葉視中枢(特に鳥距野の前半部)、聴中枢(側頭葉上側頭回)、中心前・後回などがあげられ、神経細胞の脱落ならびに神経膠細胞の増生が生じます。特に大脳皮質の六層構造の中でも第二層や四層を構成する小型の神経細胞が障害されやすいことが知られています。小脳では新旧小脳ともに中心性に深部が障害されやすく、軽症例や中等症の例ではPurkinje細胞層直下の顆粒細胞の脱落が特徴的です。胎児例ではび漫性に障害され、成人のような障害部位の選択性は乏しくなります。
 病理所見に一致して、典型例では、求心性視野狭窄、聴力障害、小脳症候(構音障害、協調運動障害、平衡障害)、および感覚障害を生じ(Hunter-Russell症候群という)、その他企図振戦(きとしんせん)、味覚・嗅覚障害、重症例では性格変化、知能低下、妄想などの精神症状、痙攣(けいれん)などもみられます。
 昭和三十年代初期の濃厚汚染時期に魚介類を摂取後比較的急性ないし亜急性に発症した例が多いです。徳臣氏らにより発症時(三十四人)、十年後(二十三人)、二十年後(十三人)に同一患者の神経症候について追跡調査が行われていますが、感覚障害の範囲が狭くても全例で運動失調が認められており、感覚障害の範囲が広がるに従って他の中核症候の出現率ならびに程度も顕著になることが報告されています。
 一方、昭和四十五年以降に認定された症例(慢性軽症例が大半)は昭和三十年代から五十年代にかけて徐々に手足のしびれ感、脱力感、頭重感、めまい感、視力低下などの症状が出現した例が多く、Hunter-Russell症候群の臨床症候を呈するものは少なく、昭和五十二年の環境庁次官通知 “後天性水俣病の判断条件"に従って、神経内科、眼科、耳鼻科などの所見を総合的に検討して、最終的にメチル水銀中毒症の可能性を否定できないと判断された症例が大半を占めます。




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感覚障害

 水俣病典型例における中核神経症候の多くは病理所見や画像変化とよく対応していますが、感覚障害の責任病巣については中枢(感覚野)説と末梢神経説があり、今日まで明確な結論は得られていません。これらの課題に検討を加えるため、水俣病典型例四例、慢性軽症例三十八例に対して、複合感覚(二点識別覚、皮膚書字試験)、深部感覚、表在感覚の障害パターンについて調査を行いました。水俣病典型例では全例頭部MRI、短潜時体性感覚誘発電位検査(SSEP)も実施しました。慢性軽症例では頭部MRIは全例施行されていましたが、SSEPは一部の症例で施行されました。
 結果は、水俣病典型例では、四肢の表在感覚は障害が軽微で、上肢の触覚には異常がない例もみられましたが、複合感覚(二点識別覚、皮膚書字試験)は高度に障害され、感覚障害のパターンは、複合感覚障害=>深部感覚障害>表在感覚障害の順番で強く障害されていました。
 慢性軽症例では、認定後二十年以上を経過している例が多く、上肢の表在覚には異常がない例が十四例みられ、そのうち二点識別覚に異常がみられたのが十例、異常なしが四例でした。残る二十四例では手袋靴下型の表在感覚障害を認めましたが、二点識別覚に異常がみられたのが十九例、異常なしが五例でした。ただ皮膚書字試験は三十八例中三例のみで異常がみられました。
 水俣病典型例では全例頭部MRI上中心後回の著明な萎縮を認め、SSEPではN9(腕神経叢由来の波)、N11(頚髄後索由来の波)、N13(内束毛帯由来の波)などには異常がなく、大脳皮質感覚野由来の波であるN20のみが全例消失していました。
 一方、慢性軽症例では頭部MRIには有意な異常はみられず、SSEP検査でもN20には異常はみられません。ただ複数の施設からN9の振幅低下を示す成績も出されています。これらの水俣病典型例における感覚障害のパターンならびにSSEP所見からは皮質性病変の関与をより疑わせますが、発症当時は四肢末梢優位の表在感覚障害を全例で認めており、発症以来四十?五十年の経過で、末梢神経の再生の影響なども加わり末梢神経病変の検出が次第に困難になってきている可能性もあります。
 慢性軽症例においては上肢の表在覚に異常を認めなかった十四例中十例で二点識別覚に異常を認めたことは感覚野の病変を示唆する成績となりますが、皮膚書字試験などでは異常を認める例は少なく、またSSEPなどの補助検査による客観的異常をとらえることが困難で、今後も多方面からのデータの集積が必要と思われます。


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メチル水銀の特性・体内動態

 水銀は生体内に経気道、経皮、経口的に侵入します。無機水銀(金属水銀、無機水銀塩)、有機水銀はそれぞれ生体内での動態や毒性にも異なった特徴がみられます。常温でも金属水銀から水銀元素が蒸発しており、水銀蒸気は肺から吸収され、脳に高い親和性を持ちます。無機水銀塩は生体内ではほとんど二価イオンとして存在し、蛋白(たんぱく)のSH基と強く結合し、各種酵素活性を阻害し毒性を示します。SH基と結合しやすい二価イオンの方が一価イオンより毒性は強いといわれます。
 一価イオンとして働くメチル水銀の毒性は無機水銀に比べて低いのですが、消化管からの吸収が無機水銀の数%に比べ、九〇?一〇〇%と極めて高いという特徴があります。赤血球のヘモグロビンと結合し、全身臓器に蓄積しますが、特に血液脳関門をよく通過し中枢神経系に対する親和性が強く、大脳、小脳に蓄積します。脳内では神経細胞、神経膠細胞、マクロファージなどに蓄積し、細胞内ではミトコンドリア・小胞体・核膜に結合します。
  神経細胞に対するメチル水銀の障害メカニズムについては、SH蛋白の機能障害、蛋白合成能の低下、細胞内Ca++の増加、活性酸素産生の増加、アポトーシス誘導などさまざまな報告がなされていますが、まだ統一された見解は得られていません。なぜ小型の神経細胞が障害されやすいのかについても今後の研究課題となっています。