肥後医育塾公開セミナー

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平成15年度 緊急フォーラム「医学的見知から見たハンセン病」

【講師】
熊本大学大学院医学薬学研究部長
小野 友道

『〜“見えない隔離”今も〜』
「ハンセン病?心とからだの痕跡(きずあと)」


   平成十五年十一月、ハンセン病元患者の宿泊拒否という問題が起きました。国のハンセン病患者に対する隔離政策が違憲という歴史的な判決が下された熊本で、「まさか」と思える大変悲しい出来事でした。

●差別や偏見昔から
 ハンセン病に対する差別や偏見は昔からありました。遺伝で発病するとも、前世で悪いことをして神の怒りに触れた人がかかる“天刑病"ともいわれた時代もあります。

 一八七三年、ノルウェーの医師ハンセンがハンセン病の原因となるらい菌を発見し、遺伝的な疾患でないことが明らかになりました。しかし、細菌ならば感染する危険があるのではないか、治療法がなければ患者を隔離する必要があるのではないかという方向に進んでしまったのです。

 日本では一九〇七(明治四十)年から国が患者の隔離政策を進め、全国五カ所に収容施設を開設。一九三一(昭和六)年、「癩(らい)予防法」によりすべての患者が隔離されるようになりました。さらに一九五三(昭和二十八)年、同法を一部作り直した「らい予防法」の制定により、患者の労働禁止や外出禁止などが規定されました。

 熊本県はハンセン病にまつわる歴史的出来事が多いところです。一九四〇(昭和十五)年、熊本県が熊本市の本妙寺周辺のハンセン病患者を強制収容するという本妙寺事件が起こります。一九五四(昭和二十九)年には、菊池恵楓園入所者の児童の通学にPTAが反対する黒髪小学校事件が起こります。誤解と偏見で出来上がった世間の風はものすごく強いものだったのです。

●普通の病気と認識
 一九四三年、米国で結核治療に使われていたプロミンという薬が効くことが分かり、ハンセン病は治る時代へと入ります。一九六〇年にはWHO(世界保健機関)が「らい菌の感染力は極めて弱い。患者を隔離する必要はなく、外来治療で十分」という勧告を出しています。しかし、日本ではそれに対する動きは起きませんでした。

 そして長い歳月が流れ一九九六年、遂に「らい予防法」が廃止されました。ハンセン病は“普通の病気"と認識されるようになり、二〇〇一年五月には、国の患者に対する隔離政策は違憲という歴史的判決が熊本の地で下されます。

 しかし、収容から五十年たった今でも元患者がふるさとに帰れないという現実を見れば、“見えない隔離"はいまも続いているといえるでしょう。元患者たちは変形や麻痺という外観で差別されています。それは病気の後遺症であり、ご本人以外は何の問題もありません。

 ハンセン病に対するいわれのない偏見や差別をなくすためには、皆さん自身が正しい知識を持ち、「人に優しく接する」という教養を磨くほかに道はないのです。

 ハンセン病の元患者の宿泊拒否という不幸な出来事が起きたことを逆手にとって、熊本からハンセン病に対する偏見や差別をなくす発信をしていこうではありませんか。