肥後医育塾公開セミナー

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平成14年度 第1回公開セミナー「皮膚と心」

【講師】
熊本大学医療技術短期大学部看護学科教授
藤井 輝明

ふじい・てるあき 

1957年東京都生まれ。82年中央大学経済学部卒業。95年名古屋大学大学院博士課程修了。医学博士。看護師。2000年から現職。地域高齢者温泉銭湯福祉入浴で注目されている。特別養護老人ホームや訪問看護ステーションの看護指導などにも当たる。顔面に疾患・外傷のある人でつくるセルフヘルプグループ「ユニークフェース」発起人のひとり。中部、九州支部の代表世話人を歴任。

『「赤アザで悩んだこと」』
「無知」が生む差別や偏見


   私の顔にあるアザは、海綿状血管腫といって良性の腫瘍です。生まれて間もなく発病し、現在も治療中です。悪い部分の血管を取り除く大手術を、過去四回しました。

 こういう病気を持っていると他人の目には、"たいへんだ"と映るようですが、楽観的な性格のためか、特に気になりません。私が生まれて間もなく両親は、百ぐらいの病院をまわったようです。そのうち約60の病院で「右目が失明するのは間違いないので、早い段階で眼球の摘出手術を」と勧められました。約30の病院は「医療技術の進歩は日進月歩なので、手術は成長してからでも遅くはないかもしれない。しばらく様子をみては」というアドバイスでした。残りの10ぐらいは「藤井家の問題だから藤井家で決めてください」というものでした。結局、摘出手術はしませんでした。今はメガネをかければ、1.2の視力があります。手術しないという両親の英断に今感謝しています。

 幼稚園に上がるころから、腫れが目立ってきました。小学生になるといじめられました。ただそのころはおおらかな時代で、ののしったり、学校の行き帰りで通せんぼしたりする―といった程度で、今から比べればかわいいものでした。約50通りの通学路を考えていて、いじめっ子グループをまくのが日課でした。

 手術したのは、大学を卒業してからです。きっかけは就職活動でした。数社の入社試験を受けましたが、学科試験はよくても面接で落ちました。そのうちの一社から「容ぼうを考慮しないわけにはいけないので…」と言われ、その理由が分かり、手術に踏み切ったわけです。その後、医療系の大学に進み、現在に至っています。

 病気はできれば避けたいのが人情です。しかし病気にかからずに一生を終える人はいません。大なり小なり必ず何らかの病気にかかります。私は生まれて間もなく発病しましたので、予防はできませんでした。ただ受け入れるしかありませんでした。40年以上この病気とつき合ってきて、病気にかかるのは必ずしもマイナス面ばかりではないのでは、という気持ちになっています。病気をすることによって得られることもあり、教わることもあるのではないでしょうか。そういう意味では、顔に障害がない人より、私のほうが多くを学び、人生も豊かなのかもしれません。

 顔に障害があると(1)いじめを受ける(2)初対面の人が苦手(3)人との付き合いがおっくう(4)異性との交際ができない(5)自分に自信が持てない(6)就職、結婚差別を受けやすい―などの問題が生じやすいものです。また場合によっては、遺伝するのでは、とかうつるのでは―などといったいわれのない先入観を持つ人もいます。

 顔に傷を負ったり、顔にアザがあるなどして、同じ悩みを持つ全国の人に「悩みを話し合おう」と訴えたところ、大きな反響がありました。そこで一昨年、セルフヘルプグループを結成しました。"セルフヘルプ"ということで、会員当事者同士がサポートしあっています。
 会の設立の趣旨は、「人は皆、固有の顔を持っている。そのことによって哀れみをうけたり、差別されたりすることはない。ただ、生きにくいことも事実で、悩みや問題を共有しあい、社会の理解を広めることで差別、偏見のない社会をめざす」というものです。偏見や差別は、知らないことから起きます。会では私たちはさまざまな活動を通して理解されるよう努めています。

 会の活動内容は、第一にボランティア活動があります。高齢者と一緒に温泉に行き、背中を流しあう「老人入浴看護」をよく実施しています。お年寄りの介護や、研究学会などでの発表活動も手がけています。そのほか勉強会、傷などを目立たなくするメーキャップ体験、本の出版もしています。

 難病の人に光が当たるためには、地道な活動の積み重ねが必要です。啓発や理解を得るための活動を始めると、最初は周囲から白い目で見られます。でも、理念と方向性が間違っていなければ必ず扉は開きます。これからも会の活動などを通して、どんな人でも生きる価値があるということを訴えていきたいと思います。