すぱいすのページ

「あれんじ」 2016年10月1日号

【四季の風】
第35回 蟬

 蟬はかしましく、またあわれでもあって、私は好きだ。春の終りを告げる松蟬から盛夏の元気な熊蟬に油蟬、それに蜩(ひぐらし)の澄んだ秋らしい声まで、それぞれ楽しめる。私は毎年、ただ蜩を聞くためにだけ阿蘇へ行ったりする。

 何と言っても、蟬はあわれだ。地中に五、六年もいて、地上へ出てわずか二、三週間のいのち。それだけでもはかないのに、今年は激しく長い地震で、地中の闇の中の蟬たちも、さぞかし驚いたことだろう。やっと穴から地上へ出てあたりを見まわすと、一切が虚(うつ)ろな被災風景。人も蟬も、立ちすくむような思いなのだが、人生には、そんなこともある。

激震の地下の闇より蟬生るる       上村孝子

 蟬が地上へ出て羽化すれば、蟬の殻が残る。これを空蟬といって、これまたむなしさの象徴のようなもの。よく見ると、背中が二つに割れていて、いかにも無残である。

空蟬の一太刀浴びし背中かな   野見山朱鳥

蟬の穴地上はかなきことばかり  渡辺久美子