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「あれんじ」 2013年4月6日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
アリスもびっくり!「非アルキメデス的幾何学」のワンダーランド

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか!
 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第20回のテーマは「非アルキメデス的幾何学」。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。
取材・文/宮ア真由美

【はじめの1歩】

 古代ギリシャの数学者、アルキメデスは知っていても、「非アルキメデス的幾何学」などというものは初耳です。アルキメデス的ではない数学とは、一体どんなものなのでしょうか? 数式を示されても、おそらくチンプンカンプンでしょうが、それを言葉で説明してもらうとしたら、どのような表現が飛び出してくるのか? 未知への好奇心いっぱいで取材に臨みました。


Point1 「非アルキメデス的幾何学」とは?

 数学の3本柱と言われる「代数学」「幾何学」「解析学」のうち、代数学は数(または数などを表わす記号)を、幾何学は図形(空間)を、解析学は関数を扱う学問です。しかし最近では、それらの境界はあいまいになってきています。「代数幾何学」という分野は、空間を理解するのに代数的な手法を使うか、逆に代数を理解するのに空間を使うという学問です。この代数幾何学をさらに細かく分けると「数論幾何学」という分野があります。
 「私の専門は、数論幾何学の中の『非アルキメデス的(解析)幾何学』という領域です」と、熊本大学大学院自然科学研究科の加藤文元教授は解説します。「説明が難しいんですが、乱暴な分け方をすると、数学には『アルキメデス的』なものと『非アルキメデス的』なものがあります」。私たちが学校で習ってきた普通の数学は、アルキメデス的な数学です。では、普通ではない数学とはどういうものなのでしょうか?


Point2 研究者は、日本にわずか20人未満

 例えば、「ユークリッド幾何学」と「非ユークリッド幾何学」というのがあります。ユークリッドも数学者で、アルキメデスよりも少し早い世代の人物。彼は、平面上の幾何学を確立したといわれています。それに対して、曲面上の幾何学を扱ったのが「非ユークリッド幾何学」で、“三角形の内角の和は180度≠ニいうようなユークリッド幾何学の常識は通用しません。非ユークリッド幾何学は、200年弱前に出てきた新しい学問で、100年後にアインシュタインの一般相対性理論の基礎に応用されました。
 このように、常識的に見ると矛盾が起きる場合(三角形の内角の和が180度ではない、など)でも、枠組みが違えば正しいこともあるのです。非アルキメデス的幾何学も、アルキメデス的幾何学とは枠組みが違います。こちらは100年強前に提唱され、本格的に研究されるようになったのは50年ほど前から。非常に新しい研究領域で、欧米ではすでに一般的に研究されていますが、日本では研究人口が少なく、まだ20人もいないそうです。


Point3 円の直径が、半径よりも小さい?
(図)非アルキメデス的幾何学上の円の交わり方

 私たちは「数」を、物の個数や長さなどの「量」や「距離」を表わす尺度として使います。しかし、非アルキメデス的幾何学では、量や距離の考え方を解体しなくてはなりません。例えば、1/3は0.3333……と小数点以下3が無限に続きますが、私たちは数と見なしています。では、「無限に大きな数の場合も、数として考えられないだろうか」というのが、非アルキメデス的発想。「ケタが増えれば増えるほど小さくなっていく」という新しい量や距離の概念(以下、距離の概念とします)を導入すれば、数と見なせるのです。
 加藤教授は「数とは計算できる記号である」と捉えています。行列やベクトルも計算できるから数として扱います。「数はただの記号ですから、もともと距離の概念を持っているわけではありません。私たちが便宜上、その場その場の約束事として与えている暫定的な性質です」。ですから、同じ数であっても違う性質を与えれば、異なる距離の概念を持たせることができるわけです。
 距離の概念が違うと、いろいろ不思議なことが起こります。まるで『不思議の国のアリス』の世界です。例えば、円の直径は半径の2倍だというのが常識ですが、非アルキメデス的幾何学では「円の直径は半径以下」となります。別の例を挙げると「すべての三角形は二等辺三角形である」「円を描くと、円の中のどんな点も円の中心となる」など。非アルキメデス的幾何学では、円の中心は1個ではないのです。
 もう一つ例を挙げると、「2つの円が重なる場合、必ず片方の円がもう一つの円の中にすっぽり収まってしまう」というもの。2つの円が一部だけ重なるようなことはありえないのです。重なる時は必ず包含関係となる。これは、非アルキメデス的距離の概念に特有の現象だと言います。


Point4 加藤教授らによって進む基盤作り

 図形(空間)を扱う学問ともいえる幾何学にとっては、距離は決定的に重要ですが、その距離の定義や性質が変わると幾何学が根本的に違ってきます。また解析学では、関数の極限という概念がありますが、距離の定義や性質が変わるとそれも根本的に変わります。しかし、代数学は記号を扱う学問なので、距離の概念は最初から含まれていません。だから、代数を機軸にして幾何や解析を考えれば、距離の概念を取り替えても数学として成り立ちます。また、むずかしい数論の問題を、幾何(図形)や解析(関数)を使ってアプローチすることで、意外な解決法が見つかることがあります。「このブレンド性に、数学が進歩発展できる秘密があるのではないか」と加藤教授は考えています。
 非アルキメデス的幾何学は若い学問なので、まだしっかりした基盤というものができていません。数学の分野ではこのような例はたくさんあります。その最たるものは微積分で、200年近く基盤がないまま応用されていました。「新しい学問ほど、地味な基礎付けよりも、それを使って先を開拓していく方が魅力的なため、基盤が不安定なまま数十年が過ぎてしまうことが多いのです」。ただし、間違った方向に進んでしまう危険性もあります。
 そこで、加藤教授が取り組んでいるのは、非アルキメデス的幾何学の基礎付けです。「基礎付けをしておかないといずれは発展性がなくなります。私は10年ほど名古屋大学の研究者と基礎付けの共同研究をしており、全体の3分の1がもう少しで完成する段階です」。基礎付けの研究成果は本としてまとまりつつあり、全3巻中の第1巻がまもなく出版予定だそうです。


【なるほど!】

 「正しい解答は美しい」と、加藤先生は数学の美しさについても語っていました。新しい分野での基礎付けは、地味ではありますが、その学問にとっての命綱づくりともいえる取り組み。美しい基盤作りが期待されます。


【メモ1】  宇宙の砂を数えたアルキメデス

 その昔、アルキメデスは『砂の計算者』という著書の中で「宇宙空間に存在する砂粒の数は、どんなにたくさんあろうと無限ではない。1粒ずつ数えていけば必ず数えられる」という発想をしています。つまり、アルキメデス的距離の概念は、「1をどんどん足していけば大きくなっていき、必ずある数に到達できる」という直観的なものです。
 しかし、非アルキメデス的距離の概念は、それを否定します。例えば、1や2、3といった「整数」があります。それらをどんなに足していっても“大きく”なることはありません。つまり、非アルキメデス的距離の概念では「どんな整数の“大きさ”も、1以下である」となります。
 このように「非アルキメデス的幾何学」は、常識を捨てないとできない学問です。


【メモ2】 和算と西洋数学の違い

 西洋では、数学の創始者と言われるピタゴラスをはじめとして、プラトン、ライプニッツ、デカルトなど、ほとんどの数学者は哲学者でもありました。一方、日本では、関孝和をはじめ建部賢弘、吉田光由など和算家は大勢いましたが、哲学者はだれ一人いませんでした。当時の思想家たちは、和算家を「彼らには思想がない」と言って軽蔑していたほどでした。つまり、和算と西洋数学では、学問としての性格がまったく違っていたと考えた方がいいようです。
 「術に遊び術を高める“和算道”的な発想があったのではないでしょうか」とは、加藤教授の推論。漢数字を使ってタテ書きで、極限まで数を磨いていったのです。「数を磨く」とは、例えば円周率を計算する場合、円を多角形と考えると、角を増やしていけば円に限りなく近づいていきます。建部賢弘は、数万角形という手で計算できる限界まで計算して小数点以下10ケタぐらいまで出し、後は等比数列の極限を取ってズレを調整していき、小数点以下40ケタぐらいまで出していました。数を磨くことで、正しい円周率に近づいていったわけです。
 ただし、和算には「証明」という概念はありませんでした。それに対して、哲学や宗教と手を携えて来た西洋数学にとって、証明はとても重要です。加藤教授の仮説では「証明は宗教儀式」だそうです。「形式があり、約束事があり、順序がある。まさに“祭儀”そのものです」。


【メモ3】 難問を解く新しい数学

 「数論」と呼ばれる分野には、世界中の数学者が証明を競う難問が数多く存在します。有名なのが、1994年にアンドリュー・ワイルズが解決した「フェルマーの最終定理」です。この定理そのものは簡単に理解できるのですが、これを証明するのが非常にむずかしく350年以上もかかりました。
 同じ94年には、「群論」というまったく違う分野の「アビヤンカー予想」を、ミシェル・レノーが非アルキメデス的幾何学を使って証明しました。
 新しいところでは昨年、京都大学の望月新一教授が数論の「ABC予想」を解いたというので話題になりました。望月教授と親しい加藤教授によれば、「ガウス極を無力化することは不可能であると気付いた望月教授には、2つの選択肢しかありませんでした。既成の数学では不可能だとあきらめるか、あるいは不可能ではないような新しい数学を作るかです。望月教授は、新しい数学を作ってしまったんです」。言語が違うようなものですから、その検証にさらに10年ぐらいかかるだろうと言われているそうです。


ナビゲーターは

非アルキメデス的幾何学では、常識が非常識に、非常識が常識になり、すべてが逆さまです。