【講師】 |
『八重子のハミングに寄せて』
優しくするのが一番の薬
若年性アルツハイマー病で亡くなった妻の八重子も私も、以前は教員をしておりました。私はこれまで5回もがんの手術を受けておりますが、最初のがんの宣告のとき、ショックで妻の脳が萎縮したことが認知症の始まりだと思われます。それから12年間、私は在宅介護にこだわり、家族や地域を巻き込みながら、症状が進行していく妻の介護をしました。
私たちの介護の様子は、テレビのドキュメンタリー番組になりました。また私は、介護をする家族の立場から妻のことをつづった「八重子のハミング」という本を出しました。それがこのたび映画になります。来春公開予定だそうです。
妻は音楽が大好きでした。認知症になっても私がハーモニカを吹くと、笑顔を見せて楽しそうに体を揺すり、最初は歌を口ずさんでいました。しかし、発症3年目ごろから歌詞が出なくなり、ハミングだけになりました。それでも、私がハーモニカの音程を間違えると、おかしそうに笑いました。
介護する私たち家族にとって、何がやりがいにつながるかというと、それは相手の笑顔だけなのです。認知症が進むと家族の顔も忘れます。一緒に暮らす娘に対し妻は、「あんた誰かね?」と言っていました。その言葉に、介護する私たちは胸をえぐられ、心がくじけそうになります。しかし、八重子の笑顔を見ると、ほっと安心できるのです。ですから、一緒に暮らす孫たちまで、家族全員がピエロのようになって、八重子の笑顔を引き出そうと頑張りました。
症状が進行して、あるとき妻が、布団の上で自分の便を食べていたことがありました。それを最初に見たとき、私は頭が真っ白になりました。妻を風呂場に連れて行き、シャワーをかけて洗おうとしたのですが、妻は抵抗し暴れました。口の中に指を入れて便をかき出そうとすると、妻は私の指をかみました。それで歯ブラシでかき出し、口づけして吸い出しました。それが介護の現実なのです。
私は、本当は逃げ出したかった。後で、何でそのとき、まず温かいタオルで妻の顔を拭いてやれなかったのかと反省しました。一緒に暮らす4歳の孫に、「みんなが優しくしてあげるのがババ(妻)の一番の薬なんよ」と言い聞かせた、その私が、妻に思いやりを示せなかったことが悔やまれます。
介護は24時間、365日続きます。それだけに、周囲の人たちから声を掛けてもらうと、とても励まされます。「介護は大変ですね」とよくいわれますが、その大変な介護の現実を前提として、社会が構築されねばならないのではないかと常々、私は思っております。