【講師】 |
『特別講演「心のリハビリテーション」』
末期医療やホスピスに対する関心は高いが、配偶者に死別された高齢者のケアについては、ほとんど取り組みがないのが現状だ。そこで富山県の農村部で、配偶者を亡くした六十歳以上の高齢者に聞き取り調査を行った。
調査は三つにグループ分けして実施した。(1)配偶者と死別して七、八カ月たった人たち(訪問は九四年十月から翌年九月)(2)その人たちの二、三年後(九六年十一月から翌年七月、電話インタビュー)(3)配偶者のある人たち(九六年十一月から翌年三月)―。
死別者グループは三十五人(男性九人、女性二十六人)で、本人の承諾を得られた人を訪問(一週間に一回、一時間の聞き取り)した。死別後二、三年経過したときは三十三人(同八人、二十五人)になった。配偶者があるグループは二十三人(同九人、十四人)だ。
まず健康状態だが、最初のグループでは、「悪化した」が男性で二二・二%、女性で十九・二%。残りは「変化なし」だった。一時的に眠れなくなったり、食欲がなくなった人もいたが、七、八カ月過ぎるとほとんどが改善していた。さらに、二、三年後の追跡調査では、ほとんど配偶者がいる人と変わらなかった。
精神的なつらさがあるかどうかについて最初のグループでは、男性のほとんどが「ある」と答えていた。また、七十三歳の女性は「話し掛けてもだれも答えてくれないので寂しい」と訴えたが、追跡調査では「だいぶ落ち着いた」と話していた。時間の経過は「最高の薬」といえるだろう。
一方、七人の女性は、最初から「つらい」とは答えておらず、寂しさも訴えていなかった。このような人たちは、長い介護経験があり、解放された安ど感や夫にできるだけのことはしたという満足感があるようだった。
「配偶者を思いだすか」の問いには、死別後七、八カ月では男性で百%、女性でも八割以上が「思いだす」と答えていた。しかし、二、三年たつと、「ときどき思い出す」が増え、仏壇にお参りするなど何かのきっかけで思い出すケースが多いようだった。
「自分の思いを聞いてくれる人がいるか」では、ほとんどの人が「いる」と答えており、信仰の有無についても、ほとんどが「ある」だった。
死別体験者の「悲嘆」からの回復度についても、心身の変化と回復のプロセスを次の四段階で調べた。
(1)知的にも情緒的にも配偶者の死をしっかりと受容(2)食欲不振、不眠、脱力感などの抑うつ反応がほぼ改善(3)悲嘆の感情は多少続いているが、それにとらわれることなく、配偶者との別離をある程度、客観視できる(4)配偶者のいない生活に適応し始め、心理的かっとうがあればそれを解決し、時間を有意義なものにするために生活に工夫ができるようになる―。
結果を、米国の南カリフォルニア大の調査結果と比較すると、日本の方がマイルドだということが分かった。日本の場合は一般的に悲嘆の程度は軽く、二、三年で消えて引きこもりや身体的異常もなかった。病気についても特に悪化したという人はいなかった。
なぜ悲嘆の程度がマイルドだったのか。調査から感じたことをまとめると次のようなことが考えられた。まず、高齢者は配偶者の死別をごく当たり前のことと受け止め、自分の人生観までも変えるものではなかったこと。次に大多数の高齢者が家計を支える立場でないし、残された人たちの経済的影響も少なかったことだ。米国は夫婦関係を優先する社会だということも、差が出た要因だろう。
しかし、悲嘆からの回復がうまくいかないこともある。六十九歳の男性は自分の旅行中に、妻を交通事故で亡くしていた。「ショックは口で言えるものではない。土木作業をして気をまぎらわせているが、そうじゃないとノイローゼになってしまう。腹を割って話す人もいない。別に長生きしようとも思わない」と話していた。このケースを見ると、「死別カウンセリング」の必要性が認識できるだろう。
これまでの調査から高齢者にとって、死の恐怖もさることながら、周囲の人に迷惑をかけることへの恐怖がいかに大きいかを感じた。「あなたは大切な人なんですよ。生きるに価する人なんですよ。迷惑をかけないでやっていくのではなくて、一緒に何かをやっていきましょう」という積極的に生きるための働きかけが必要なのではないか。若い人が一緒になって考えていくということが、高齢者の心のリハビリになるのではないだろうか。