「滝」は夏の季語だが、毎年五月、矢部の「五老ヶ滝」に吟行している。私は、若葉が萌えあがるころのこの古い里が大好きだ。
さらに、この滝の名の由来がいい。昔々、阿蘇から矢部に拠点を移した阿蘇氏の栄華の中心となった浜の館に、京から勅使を迎えて「御覧(ごろう)じろ」とお見せしたという物語の楽しさである。
滝といえば、もうすでに、
滝の上に水現れて落ちにけり 後藤夜半
のような名句があるが、滝は俳人なら誰でも、がっぷり四つに組んで詠みたくなる題材だ。
滝を見る 岩がふはりと動くまで 渡邊佳代子
滝の水が次々と滝壺の岩に落下する。よくよく見ていると、ついにはその岩がふわりと動いたと感じた作者。これは究極の写生だ。
ちょっと急な坂だが、この滝は、滝壺近くまでおりて行ける。滝しぶきは美しい虹を生み、見る人を荘厳にする。ときに、この大滝の迫力に圧倒されそうにもなる。
虹かかり滝の浄土となりにけり 佐野清江
滝の前いよよあやふき吾れとなる 中正
吊橋から正面の滝をじっと見続けていると、とうとう私と滝がひとつになって、滝の人生が見えてくるようだ。そうか、お前はこうして滝として生まれて水を落とし続け、対する私もこうしてじっと踏んばって詩を詠み続けるのだという共感のようなものが湧いてくるのだ。
今生(こんじょう)を滝と生まれて落つるかな 中正
もう一つ、この吟行の楽しみは、句会でいただくおいしい新茶。矢部は茶どころ、それに素朴な味の饅頭が出る。これが楽しみで、もう十年も通っている。
一服の新茶に山河薫りけり 大川内みのる |