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「あれんじ」 2011年5月7日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
「ミュージッキング(musicking)」って楽しい! 心と体を元気にする「音楽療法」

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか! 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第12回のテーマは「音楽療法」。まさに、時代にぴったりのテーマかもしれません。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

はじめの1歩

 音楽を聴いて「心を癒やされた」という経験のある方は多いと思います。でも、音楽を「医療」の一環ととらえる人は少ないかもしれません。「音楽療法」という分野は、最近少しずつ知られるようになってきましたが、まだ一般的とはいえないようです。しかも、文学部の先生が研究する「音楽療法」ですから、福祉の分野の先生方とは視点も違ってくるでしょう。一体どのような研究なのか、好奇心いっぱいで研究室のドアを叩きました。


Point1 創造的音楽療法

 音楽療法の歴史は、旧約聖書(エピソード1)にも出てくるほど古いのですが、近代的な音楽療法は20世紀初頭のアメリカで芽生えました。
 1960年代には作曲家のポール・ノードフと特殊教育
家のクライブ・ロビンズの2人が組んで、子どもたちを対象に即興で音楽をつくっていく「創造的音楽療法」という画期的な方法を編み出しました。これは、現在では子どもに限らず
成人に対しても行われており、脳梗塞に襲われて全失語症になり、言語聴覚士も見放したほど全くしゃべることができなかったバリーという男性が、何年もかけて音楽療法で治った例もあります。音楽療法士が即興で奏でるピアノに、バリーが即興の歌で応えるセッション(治療実践)の模様はDVDにもなり、その音楽性の高さに世界中が驚きました。


Point2 「ミュージッキング」…音楽は動詞?

 日本では2001年に音楽療法学会が設立され、現在6000余名の会員がいます。国家資格ではありませんが、学会が認定する音楽療法士も増えてきました。医師、心理学者、福祉関係者、音楽家、教育者などすそ野も広く、アプローチ法もさまざまです。
 1998年にアメリカの音楽学者Ch・スモールは、「音楽」を名詞ではなく動詞ととらえて現在進行形にした「ミュージッキング(musicking)」という造語を提唱しました。「人間が本来持っている音楽性」「音楽が本来持っている力」などの広い意味で使われています。   
 「よく『私は音楽は駄目』と言う人がいますが、それは違います。私たちは、生まれながらにして内なる音楽を持っています。音楽が駄目な人間などはいないのです」。熊本大学文学部の木村博子准教授は、このミュージッキングに注目して、人間の根源的な力を引き出すことで心身の健康の向上を図る「音楽療法」の研究をしています。
 音楽療法には、音楽を「聴く」ことと「参加する」(演奏したり、歌ったりする)ことという2つの方法が基本的にはあります。しかし、対象となる人の年齢層も幅広く、文化的な背景も個人によって、国によってさまざまなので、どこの国の人にでも同じ方法が有効とは限りません。「日本では、即興という方法は音楽教育の中でほとんど取り入れられてこなかったので、まだあまり馴染みがなく、アメリカのスキルをそのまま持ってくるわけにはいきません。今は日本独自の方法をみんなが模索している段階です」
 血圧や血糖値のように数値化できない心の領域に取り組むには、むしろ哲学的、社会学的なアプローチが必要。木村准教授は、文系の立場から音楽療法への新しいアプローチ法を模索しています。


Point3 「あなたは、そのままでOKよ」

 木村准教授は、もともと音楽学の西洋音楽史が専門でしたが、15年ほど前に音楽療法と出会い、音楽の可能性にひきつけられました。
 「日本では、音楽は芸術であって専門家がやるものといったイメージがありますが、実は演奏者も聴衆も内なる音を探しているのです」と木村准教授。「作曲家はまず、音を『聴く人』『探す人』です。ベートーベンもモーツアルトもその意味で、限られた調性という音組織の中で、音を探し続けた人と言えるでしょう。聴衆も、『聞かされる人』、受け身的に『音を与えられる人』ではなく、積極的に『聴く人』であるべきだと思います」
 音楽療法をしていると、治療対象者の心のあり方、美しさ、生きる力、その人の存在そのものが等身大で感じられるといいます。音楽療法士は、音楽を押し付けたり誘導したりするのではなく、対象者その人の中から芽生えてくるもの、その人自身の音楽を発見して「あなたは、そのままでOKよ」と伝えるのが役目。「上手下手ではなく、いかに自分が表現できているかが肝心なんです。どんなにテクニックがあっても、心がなければ真実は伝わりません」
 


Point4 コミュニティー音楽療法

 ストレスにさらされている現代人にとって音楽療法は、音楽療法士と治療対象者だけのものではなく、周りの人々にも広めていくべきだと木村准教授は考えています。「音楽から感動が生まれ、そこから地域社会が動いていく。音楽には人を突き動かす力があります。その力で人と人とをつなぎ直し、社会を変えていけないかと考えているんです」
 そんな構想のもと、木村准教授は5年前から熊本市の子飼商店街の「熊本大学子飼サテライト」というオープン・スペースで、毎週火曜日に地元の人たちを対象にした音楽のセッションを学生と一緒に行っています。「コミュニティー音楽療法」という授業の一環です。キーボードの伴奏で、約1時間にわたって童謡や唱歌、歌謡曲、懐メロなどを歌います。誰でも参加できますが、土地柄かやはり高齢者が中心。最初のころは黙って聴いているだけだった人も、次第に心を開き、声を出して歌うようになってきました。
 学生たちは参加者とともに音楽を楽しみつつ、参加者のニーズを敏感に感じ取り、その場その場でより良い雰囲気が作れるよう行動することが求められます。毎回セッションの後はミーティングを行い、セッションの反省と次回の課題を話し合い、記録に残します。参加者から「よかった」「楽しかった」という言葉が出ても、それは社交辞令で本心は違うかもしれません。言葉にならない部分も見ていくのが音楽療法なのです。時には乳児連れのお母さんも加わるようになり、学生たちも交えて世代間の交流も生まれています。
 近年欧米では、音楽療法が難民対策や災害支援としても注目を集めています。知らない者同士、価値観の違う人同士が一カ所での生活を余儀なくされ
ると、その中に溶け込むことができない人も出てきます。しかし、音楽を媒体に共有の場を持つと、一体感が生まれ気持ちが通じ合うのです。中国の四川省大地震の時には、北京から50人の音楽療法士が現地に派遣されました。今回の東日本大震災の被災者の皆さんにとっても音楽は大きな力になることでしょう。


なるほど!

 音楽の持つ力は侮れません。そして、「本来私たち人間が生まれながらに音楽性を持っている」という考え方には勇気付けられます。阪神淡路大震災のころにはまだ日本にはなかった音楽療法学会。今こそ、音楽療法が日本で力を発揮する時だと思いました。


【エピソード1】 王さまたちのうつ病を治した「音楽療法」

 旧約聖書の『サムエル記』には、ユダヤの王さまサウルのうつ病を羊飼いの少年ダビデが竪琴を弾いて治したと書かれています。
 また、18世紀のスペイン王フェリペ5世は、政務に就けないほど重いうつ病にかかっていました。イタリア出身の名歌手ファリネリは、王妃に請われて王宮に出向き、王の寝室の隣で4曲歌ってうつ病を治し、長い間宮廷歌手としてその4曲を歌い続けて王さまを慰めたといわれます。


【エピソード2】 『4分33秒』という音のない音楽  

 現代音楽の作曲家ジョン・ケージの作品に『4分33秒』という曲があります。楽譜は三楽章から成り、すべての楽章には「休み」と書かれているのみです。
 演奏者は、舞台に出てきて、楽器とともにいるだけで何も演奏しません。そうすることで、演奏者と聴衆は楽譜からも音からも解放されて、自由に鳥の声や風の音、人々のざわめきなどに耳を澄ませるのです。
 彼は無音の音楽をつくることで「与えられるものだけが音楽ではない。自分で音を探して自らが見つけていくのも音楽だ」と伝えています。
 音楽に対するこれまでの既成概念から自由になり、社会通念からも解放されようというメッセージは、音楽療法にも通じる考え方です。


【エピソード3】 アリストテレスも認めた音楽療法 

 古代ギリシア時代には、音楽は人間の思考や情緒、健康に強く影響すると考えられていました。哲学者アリストテレスは、悲劇を見たり悲しい音楽を聴いて涙を流すと心のしこりを解き放つ効果があると唱え、これを「カタルシス(浄化・排泄)」と呼んだのです。音楽には「心の傷を癒やすカタルシス効果がある」ということは、現代の音楽療法にもつながる考え方です。
 アメリカで音楽療法への関心が高まったのは、2つの世界大戦がきっかけだったともいわれます。特に、第二次世界大戦の時に野戦病院で傷病兵に音楽を聞かせたところ、治癒(ちゆ)が早まったことから、注目を集めました。やがて大学の科目にも取り入れられ、大学院に博士課程も設けられるようになりました。 
 日本では、音楽療法といえば高齢者施設で行うイメージがありますが、年齢も障害の有無も関係ありません。個人セッションであれグループ・セッションであれ、対象者の豊かな音楽性を花開かせるのが音楽療法です。  


ナビゲーターは
熊本大学文学部総合人間学科
木村博子  准教授

音楽には、人を動かし社会を動かす力があります!