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「あれんじ」 2011年3月19日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
伊倉八幡宮ねり嫁行列

金糸銀糸の着物華やかに



開催日:4月10日(日)
開催場所:伊倉北八幡宮(玉名市伊倉北方3009)
      伊倉南八幡宮(玉名市宮原701)
JR鹿児島本線「肥後伊倉駅」から徒歩20分、九州自動車道菊水ICから車で約15分(問)玉名市商工観光課
☎0968-73-2222

道を挟んで 南北に鎮座する八幡宮

 玉名市の伊倉八幡宮は、道を挟んで北八幡宮と南八幡宮が鎮座している、全国的にも珍しい神社です。なぜ北と南に分かれたのかは明らかではありませんが、創建は和銅2(709)年といわれています。
 両神社では、春(4月)と秋(10月)に例大祭が行われ、勇壮な「馬追接頭(うまおいせっとう)」(秋のみ)と金糸銀糸の華やかな着物に身を包んだ「ねり嫁行列」が華を添えます。
 祭りを担当する接頭家は、1年ごとの輪番。その家に、神様が現世を行き来するための場所である勧請棚(かんじょうだな)が設けられ、神を招き入れる厳かな神事が執り行われます。
 接頭親子を乗せた馬が町を歩き、境内の石段を一気に駆け上がれるか否かで、その年の五穀豊穣を占うのが「馬追接頭」です。


人身御供の故事を受け継ぐ祭り

 春と秋両方の例大祭に登場する「ねり嫁行列」は、勇壮な「馬追接頭」とは対照的に、ゆったりとした優雅な行列が特徴です。当初は、未婚の女性が行列を作っていましたが、今は幅広い年齢層の女性に稚児も加わり、祭りを盛り上げています。
 この行列は、もともとはこの地域で作物が荒らされることを防ぐため、祭りが近づくと怪物に若い娘を人身御供(ひとみごくう)として差し出していた故事に由来するといわれています。ある年、山法師が、作物を荒らしていた怪物を退治。それ以降若い娘たちが感謝の意を表し宮参りを始め、「ねり嫁行列」となって受け継がれたそうです。
 一方で、町を練り歩くことで若い娘たちを町の人々に披露し、婚姻を進める役割を果たしていたという面もあるようです。


【教えてください】 「芸能」は神様のおもてなしから

 神様が現世と行き来できる場所を勧請棚(かんじょうだな)と呼びます。伊倉八幡宮例大祭と同じように、これを設ける祭りが日本の各地にあります。
 この勧請棚を現世への入り口とし、現世に降りてきた神様がさまざまな場所を“巡り”ながら、人々に幸せをもたらす。そして現世にはびこる悪霊を退散させ、また勧請棚を通り神の世界へと帰ってゆくと考えられています。
 現世にいる神様をもてなすことを“神遊び”といい、これが現在の芸能の発祥です。そして、神様が悪霊を抑えるために発する言葉が「語り」、身振りが「舞」や「踊り」となり形を変えていったのが、さまざまな芸能や祭りになってきたのです(談)。

熊本大学60年史編纂室長(前熊本大学大学院社会文化科学研究科民俗学教授)
安田 宗生氏