私は山焼きが大好きだ。好きで、もう何年阿蘇に通ったことか。これは病みつきになる。
でも三月も後半、晴れが続いて草が枯れきること、風が強くなくて危険でないこと、それに野焼
勢子がそろうことなど、条件が厳しい。雨が降ればもちろん駄目。今日こそはと思って出かけると、何と山の雪は解けてもいない。空振りは覚悟の上とはいえ、
山焼を見に来て根雪見てしまふ 中正
焼くはずの山を眺めて帰りけり 南野幸子
と、やっぱり残念。
阿蘇の「山焼き」はさすがにスケールが大きい。何しろ阿蘇は古来、神々の宿る里。荒ぶる古代神のように、炎は猛り風を起こし、野火埃(のぼこり)を降らす。
大野火を神話の神に奉る 中正
燎原(りょうげん)の火は、草原の中の岩とせめぎ合う。この岩も溶岩、かつては火の塊だったのだ。山火と戦う岩が、なんだか私自身の姿のように見えたりもする。
岩ひとつ野火とたたかひをりにけり 中正
戦後もう六十年以上もたつが、大山火に囲まれて、かつての空襲で逃げまどった記憶が突如よみがえる。
大山火戦火に追はれたる記憶 内藤悦子
それにしても阿蘇山上は賑やかだ。一方でさかんに山焼きの炎が上がる脇を、ライダーが駆けめぐる。山焼きの炎も音も、バイクの音に負けじと、ますますさかん。まさに山火と若者のいのちの交響楽。
ライダー等疾駆山火は闌(たけなわ)に 加藤芳子
さらに驚くことに、この若々しい俳句の作者はとっくに九十歳を越えておられる。大山火と対決した堂々の一句である。
山焼きを見て句会も終えて、あとは車中で俳句の話に花を咲かせる。それにしても、山火のように元気な文学をつくりたいものだ。 |