秋風や 書かねば言葉 消えやすし 野見山朱鳥(あすか)
という俳句もあるように、感動はその瞬間、ことばにして残さなくては消えてしまいます。日々の感動は、すぐに風のメモリーに入力しておかなくてはいけません。俳句は風の記憶装置です。
あんまり天気がいいので江津湖へ行きました。いい香りにひかれてつい東浜屋へ立ち寄って鰻を食べ、県立図書館の横を芭蕉林へと散歩しました。水前寺から流れ出た水が橋をくぐって、波をきらめかせながら踊るように走ってくるのを見て、本当に春が来たことを実感しました。
鴨の一家が忙しそうに藻を食べているそばに、一羽っきりの鳰、つまり「かいつぶり」が楽しそうに浮いているのが目にとまりました。鴨だってこれは「春の鴨」で、ずい分のんびりとしています。というのは鴨は秋に北国からやってきて春にはまた帰るはずが、うっかり帰りそびれて「春の鴨」と呼ばれたりするのも居るからです。鳰は年中この湖にいますが、これがまた小さくてかわいい。夏は家族で浮巣(うきす)を組んで、必死に子育てをします。それがいかにも健気です。冬の鳴声はことに寂しくて、「鳰の笛」と言ったりします。
今、目の前にいる「春の鳰」は、のんびりと独身生活を楽しんでいるようです。ふっと沈んだかと思うと、美しい水底をのぞいてきたようなきょとんとあどけない顔をして、思わぬところに浮いて出ます。その瞬間、私の眼と合ってできた俳句です。
春の鳰 あっけらかんと 浮いて来し
中正 |