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「あれんじ」 2010年11月20日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
【甘酒祭り】

親猿、小猿に扮(ふん)し甘酒かけ 700年受け継がれる山王(さんのう)信仰

山王の神の使い“猿”

 宇土市花園町佐野地区に鎮座する山王神社で、毎年12月(旧暦11月)の申(さる)の日(今年は12月12日)に行われる「甘酒祭り」。その始まりは700年前とも言われ、佐野地区に住む15歳から30歳の男たちが、白い手ぬぐいのほおかむりに赤い着物、黄色の腰ひもを巻き、親猿と小猿に扮します。「ほうらい」「ほうらい」のかけ声とともに、甘酒の入ったとっくりを奪い合ったり、甘酒をかけたりするユニークな祭りです。
 花園一帯にはかつて日吉山王(ひえさんのう)が祭られ、猿が山王の使いとされているところから、猿に扮(ふん)するようになったのではといわれています。また、山王信仰が地元の農耕儀礼と結びついて、甘酒祭りとして行われるようになったという説もあります。


若者の結束強める祭り

 祭りでは、最年長の親猿に小猿は絶対服従とされ、親猿の指示で祭りが進行します。また、初めての参加者は“新猿”と呼ばれます。以前はこの祭りが、肉体的、精神的に大人の仲間入りをする儀式の色合いも兼ねていたことから、同祭が地域の若者の結束を強める役割を果たしていたと考えられています。
 境内や氏子の家々を回りながら進行する祭りは、「日暮れ前には終わらない」という決まりがあり、日暮れまで何度も親猿からとっくりを奪い合う指令が出されます。奪い合いが加熱すると、祭りの参加者だけでなく、見物客にも甘酒がふりかかります。甘酒のしぶきが“福”となり、参道の人にも分けられるという意味も含まれるようです。ここで甘酒をかけられた人は、1年間無病息災に過ごせるという言い伝えもあります。


【教えてください】 「昔は米のとぎ汁だった?」

 甘酒祭りの甘酒は、以前は各家庭で作られていたと言われています。中には甘酒の代わりに、しとぎ(水にぬらして軟らかくした生の米をついて粉にし、それを水でこねたもの)を作る際に出てくる、色もよく似た米のとぎ汁を使っていたという説もあります。阿蘇地区では、今でも家の棟上げのときに米のとぎ汁をまき清めるという風習が残っており、米のとぎ汁が、魔除けの役割を果たしていたことがわかります。
 また、男たちがまとう赤い着物。なぜ赤い着物を着るかというところは謎ですが、赤=生命力の意味を含んでいるのかもしれません。着物の赤と甘酒の白。目にも鮮やかな甘酒祭りを、色の対比で見てみるのもおもしろいものです。(談)

熊本大学60年史編纂室長(前熊本大学大学院社会文化科学研究科民俗学教授)
安田 宗生氏