種のことは本当はよく知らないのだが、何となく心ひかれて、時々俳句に詠(よ)む。
「種物(たねもの)」や「種袋」といえば、冬の間とっておいて春に蒔(ま)く種で、春の季語。
ものの種にぎればいのちひしめける 日野草城
のような名句もある。
私が好きなのは、秋の種採り。秋ともなれば庭や郊外を歩いて、ふとつまんだりする。それを机の上に置いて眺めるのも好きだ。種を見ていると、透明な秋の日差しやさわやかな風が見えるようだ。種をてのひらに載せたときの感触も、何とも言えない。
てのひらに風より軽き種を採る 中正
種採ってにはかに風の起りけり 〃
てのひらのよろこぶ種を採りにけり 〃
山法師(やまぼうし)の実、山査子(さんざし)の実、椿の実。どれも楽しい姿をしているが、よく見ると何だか宇宙のいのちがつまっているようで、不思議な思いにとらわれる。森羅万象、この世のいとなみのすべてが、ここからはじまるような気がする。この小さな種から、この世のはじまりの風が吹いてくる。私も、これと同じ小さな種のひとつ。同じひとつの大きないのちから分かれて生まれてきたものである。
種を採る この世に仮の宿りして 中正 |