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「あれんじ」 2010年9月18日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
【野原八幡宮(のはらはちまんぐう)秋季大祭】

古(いにしえ)の世界へいざなう 笛の音と童男(おぐな)の舞

760年の歴史持つ「のばらさん」

 五穀豊穣と無病息災を願い、毎年10月15日に開催される野原八幡宮(荒尾市野原)の秋季大祭。約760年の歴史を誇り、「のばらさん」の名で親しまれています。当日は一カ月早い七五三を祝う着物姿の親子連れが祭りに華を添えます。
 野原八幡宮は、延暦15年(796年)、桓武天皇が九州鎮静を祈願したときに創建されました。南北朝時代に肥後国玉名郡野原荘が、宮方の東郷と武家方の西郷に分割されてからは、政治、経済、生活様式も異なるように。これに伴い、祭りも宮方と武家方に二分されるようになったと言われています。


宮方の「風流(ふうりゅう)」、武家方の「節頭(せっとう)」

 祭りで目を引く「風流」は、宮方の祭事。県の無形民俗文化財に指定されています。赤い狩衣(かりぎぬ)をまとい、獅子頭(ししがしら)をかぶった二人の童男(男児)が、太鼓をたたきながら笛の音に合わせ優雅な舞で観客を魅了します。「風流」はもともと、社殿にとりつく妖魔を制するために始まったと言われ、県内でも数少ない中世芸能として知られています。
 一方、荒尾市無形民俗文化財に指定されている武家方の祭事「節頭」。神馬に乗った稚児(ちご)(節頭)が、節頭奉行、馬を引く仲間(ちゅうげん)とともに地元を練り歩く行列です。節頭に扮(ふん)する子どもは、顔に白粉の化粧を施し、馬に乗る際も地面に足を付けないよう担ぎ上げられます。衣装も、神装束(かみしょうぞく)に白足袋、さらには、着物の襟合わせも左右を逆にする習わしがあります。祭りの中で稚児を神とあがめ、俗世間と隔てられた神聖なものとして扱っていることが分かります。


【教えてください】 「中世芸能の特徴」

 「風流」はもともと、『今様できらびやかな』という意味を含み、中世では「風流(ふうりゅう)」、近世では「風流(ふりゅう)」と呼ばれていました。ふうりゅうという呼び名が残る野原八幡宮の大祭は、中世の流れをくむ祭りということができるでしょう。
 また、祭りの中に子どもたちが登場するのも中世芸能の特徴の一つです。中世の公家たちの目には、子どもたちが色鮮やかな衣装をまとい太鼓をたたきながら舞う姿が“けなげ”と映り、感動の涙を流していたといわれています。
 太鼓のたたきかたも、音を響かせるように“勇ましく”ではなく、バチの動きも軽やかに、しかも優雅に。いわゆる舞的要素が大きいのも、中世芸能の特徴と言えるでしょう。

熊本大学60年史編纂室長(前熊本大学大学院社会文化科学研究科民俗学教授)
安田 宗生氏