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「あれんじ」 2010年9月18日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
数学は「定義することから始まる」!? 目からウロコの「確率論」

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか! 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第5回のテーマは「確率論」。数学は苦手…などと言わずに、さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

【はじめの1歩】

 「確率」と聞くと、まず思い浮かべるのはギャンブル。ルーレットにしろ、カードにしろ、宝くじにしろ、その「確率」を論じるわけですから、数学者って魔法使いのように思えてしまいますが、濱名教授は、もっとマジメに確率論を語ってくださいました。


Point1 現代確率論とは?

 「確率論をやっていると言うと、よく『ギャンブルの勝ち方を教えてください』と頼まれるんですよ。だから『宝くじやパチンコの必勝法を知っていたら、大学で研究なんかしていません』と答えています」。開口一番、熊本大学大学院自然科学研究科の濱名裕治教授はこう言って笑いました。では、一体どんな研究をしているのでしょうか。
 もちろん、確率がギャンブルと結びついて発達してきたのは確かですが、現代の確率論は自然界の現象をモデル化して、その性質を研究する学問です。一番分かりやすいのは「ブラウン運動」です。花粉を水に浮かべると、浸透圧で破裂し、出てきた微粒子の不規則な運動が観測できます。この微粒子は自分では動けませんが、水の分子がぶつかって動いているのです。それが「ブラウン運動」です。最初はアインシュタインやペリンなどの物理学者が取り上げましたが、1923年にノーバート・ウィナーという数学者がブラウン運動を数式として定式化しました。これが、現代確率論の出発点だといわれています。例えば、熱の伝導や煙の拡散なども、ブラウン運動を用いた式で表せるそうです。
 その後、ロシアのアンドレイ・コルモゴロフという数学者が、確率論の数学的な枠組みを作り、現代確率論を確立させました。


Point2 役に立つ「数理ファイナンス」

 「数学は役に立つんですか?」と数学者に聞くのは「英語は役に立つんですか?」とイギリス人に聞くようなものだとか。濱名教授に言わせると、数学という言語がないと、理系の学問(物理学、工学、化学など)の多くが成り立たなくなるそうです。その影響は経済学にまで波及しており、1990年ごろから注目されてきた数理ファイナンスは、証券市場の数理モデルを作り、その中で証券価格が決定されるメカニズムを研究する学問で、高度な確率論の知識が必要です。現実に、金融派生商品の一種であるオプション(権利)取引においては、日本の数学者、故・伊藤清・京都大学名誉教授が編み出した確率積分や伊藤の公式を駆使して予想価格を解析していきます。


Point3 「パーコレーション」と「ランダムウォーク」

 突き詰めて言えば、確率論とは「現実を単純化してモデル化し、数式化する学問」です。確率モデルの代表的なものには「パーコレーション」と「ランダムウォーク」があります。
 「パーコレーション(浸透)」とは、スポンジへの水の浸透過程や果樹園の木々への病気の伝染経路をモデル化したもので、その浸透率や感染率に応じて、ある値を境に様相が一変するという現象(相転移現象)が起きます。その値(臨界確率)がいくつかという問題を考えるのです。2次元(平面)だったら臨界確率は1/2という解が出ています。3次元(立体)ではまだ分かっていないそうです。
 濱名教授の専門でもある「ランダムウォーク」とは、分かりやすいたとえで言うと、京都のような碁盤の目状の道路網があったとして、そこを酔っ払って場所を見失った観光客が千鳥足で歩くとどういう道筋を通るかを考えるというようなもので、「酔歩」とか「乱歩」とも言います。動きの性質がブラウン運動に似ているので、ブラウン運動の格子版とも言えるでしょう。そのランダムウォークで旅館(出発点)に戻れるかという古典的な問題(再帰性の問題)はすでに解決しており、1次元(一本道の場合)と2次元では必ず戻って来られますが、3次元以上では戻れないこともあるということです。たとえ話では軽そうな内容ですが、再帰性の問題や、Point4で述べている多重点の個数などは、最先端の理論物理学の課題とも重なり合う奥の深いテーマなのだそうです。


Point4 「ランダム媒質」の問題とは?

 濱名教授が確率論の迷宮にはまり込むきっかけとなったのが、「ランダム媒質」の問題でした。例えば、ある金属の中を電子が動く場合、シュレディンガー方程式というものが使えます。金属が均質であれば問題ないのですが、金属にはさまざまな不純物も混じっているため均質ではありません。そういう場合の電子の動きを数学的に表すとどうなるのか、といったことを考えるのが「ランダム媒質」の問題なのです。
 Point3で紹介した「ランダムウォーク」している酔っ払いにある情報が加わると、その足取りは情報に左右されます(例えば、ネオンの多い方に引っ張られるとか)。つまり「ランダム媒質」の中の「ランダムウォーク」になるわけです。この時、1次元では出発点に戻って来られるための条件が分かっていますが、多次元ではまだ解かれていません。これを解くには、普通の「ランダムウォーク」の性質をもっと知る必要があるそうです。
 酔っ払いが通る交差点を考えた場合、何回も通る点(多重点)が出てきます。そこで、長く歩いてもらうと多重点の数はどうなるのかを考えます。時間が無限に大きくなれば多重点の数と
時間の比はある数に限りなく近づいていきます。サイコロ投げで言えば、1の目が出る割合は長くやればやるほど1/6に近づくのです。さらに、多重点の数と時間の比がある数に近づいていくスピードについても調べていきます。このように細かい研究を続けながら、今も世界中の数学者たちは、複雑な現実を数学的に示そうとしのぎを削っているのです。


【なるほど!】

 目的地に向かって進んでいる最中に、ふと脇道に出合ったとします。その脇道がものすごく魅力的に感じられて、思わず脇道にそれてしまう。濱名先生のお話を聞いていて、数学とは「限りなく脇道に分け入っていく学問」だという印象を受けました。
 遠い将来、すべての自然現象が数学で表せるようになったら素晴らしいことですね。今は脇道に見えても、結果的に近道だったということにならないとも限りません。濱名先生をはじめ世界中の数学者にエールを送りたくなりました。


【メモ1】 ギャンブルの始まりはトロヤ戦争!

 確率論とは切っても切り離せないギャンブルですが、文献上はじめてギャンブルが登場するのは紀元前1159年のトロヤ戦争です。トロヤ戦争についての記述で現存する最古の文献は、ホメーロスの叙事詩『イーリアス』と『オデュッセイア』。ギャンブルについて書かれているのは、『イーリアス』第23巻「パトロクロスの葬送および競技」の中です。
 トロヤ戦争は、ギリシャ軍による包囲作戦でトロヤの敗北に終わりますが、長い包囲戦は退屈なものでした。そこで、兵士たちが退屈してギリシャに帰ってしまうのを防ぐために、ゲーミング(賭け事)が発明されたということです。
 トロヤの遺跡からは、骨で作られたサイコロも出土しています。


【メモ2】 統計学はインドに始まった?

 確率論の親戚ともいえる統計学は、サンプル(一部分)の情報から全体を推測する、…つまり一を聞いて十を知る学問です。
 古代インドの叙事詩『ラーマーヤナ』には、落ちている木の枝に付いていた実の個数から、元の木になっている実の数を言い当てる話が出てきます。これが統計学について最初に書かれた文献といえるでしょう。


【メモ3】 確率論の始まりはルネサンス時代

 古代キリスト教の神学者アウグスティヌスが「正統な学問体系は神学のみ」と規定したため、中世を通して数学は発展しませんでした。いわゆる確率論が登場したのはルネサンス期です。1494年にイタリアのルカ・パチョーリという修道士が書いた書物(複式簿記の本)の中に、賭博を例にとった問題が紹介されていて、確率を数学的に取り上げた最初の文献だといわれています。
 2人が賭け金を出し合って、先に6勝した方が総取りだと決めてゲームを始めたのですが、Aさんが5勝、Bさんが3勝した時点で止めざるを得なくなりました。賭け金はどのように分ければいいのでしょうか?
 パチョーリは比例分配で「5対3に分ける」と書いていますが、これだともしBさんが0勝だった場合、Aさんは5勝しかしていないのに総取りすることになり不公平感が残ります。3次方程式の解の公式を作ったとされるイタリアのジェロラモ・カルダーノは「6対1に分ける」という答えを出しているなど、これまでに百数十人の数学者が計算しています。
 正解だとされているのはフランスの数学者パスカルが出した「7対1に分ける」という答え。Bさんが総取りするには、あと3連勝しなければなりません。1勝する確率は1/2ですから、3回勝つには1/2×1/2×1/2=1/8となり、Bさんは1/8を、Aさんは残りの7/8をもらうという計算です。
 その後、18世紀から19世紀にかけて活躍したフランスの数学者ピエール・シモン・ラプラスが「あるものが起こる。それを総数で割ったのが確率である」と定義しました。この時、確率論が初めて数学になりました。数学は定義することから始まるのです。


熊本大学大学院
自然科学研究科(理学専攻)
濱名 裕治 教授

数学は、自然現象を記述する”言語“なんです。