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「あれんじ」 2010年8月21日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
【上八幡宮例大祭】

一人傘矛(かさほこ)を先頭に 奴踊り、万年豊作踊り

五穀豊穣、大漁を祈願

 上天草市大矢野町の上八幡宮(かみはちまんぐう)は、応神天皇と、その母である神功皇后、比売大神(ひめのおおかみ)を御祭神とし、寛文年間(一六六一〜七二)に大分県の宇佐八幡神宮から分霊されました。五穀豊穣と大漁を祈願する神幸式は、宝暦元年(一七五一)に始まったと言われ、その歴史は270年にもなります。
 祭儀は本来10月14日、15日に行われていましたが、平成3年から10月の第2土・日曜に行われるようになりました。大祭の歴史の中での大きな変化でしたが、これによってサラリーマン家庭や子どもたちが参加しやすくなったといいます。


神と俗世間を分ける“化粧

 祭りでは、本宮から江樋戸(えびと)地区のお仮屋まで進む神幸行列を「お下り」、お仮屋で一泊し、本宮まで帰る神幸行列を「お上り」と呼び親しんでいます。
 この神幸行列の呼び物となるのが17の集落から一基ずつ奉納される見事な傘矛(かさほこ)です。豊臣秀吉や加藤清正など歴史上の人物を模した人形を載せた傘矛を1人で持ち上げる“一人傘矛”を先頭に、勇壮な掛け声の奴踊りが繰り広げられます。その後ろには、御神輿(ごしんよ)、獅子舞、豊年万作踊りと、総勢約二百人の行列が続きます。中でも、観客の目を引くのが「万作じゃ〜、また万作じゃ〜」のかけ声高らかに、顔にユニークな化粧で祭りを盛り上げる子どもたちの万年豊作踊り。元来、祭りで施される化粧には、神と俗世間を分ける神聖なものという意味があるといわれています。同祭では、お下りでは眉を下げて、お上りでは上げて描きますが、どうしてこのような風習が残るのかは謎のようです。


【教えてください】「傘矛の変遷」

 上八幡宮の祭りは、1人で持つ“一人傘矛”が特徴的な祭りですが、県内でこのスタイルが残っているのは、上八幡宮の例大祭だけです。九州では、長崎県の諏訪神社で行われる「長崎くんち」が同じ一人傘矛。この類似点から、上八幡宮の一人傘矛の様式は、長崎から海を経由し伝わってきたと考える説もあるようです。
 傘とはもともと、偉い人が直射日光を避けるためのものでした。それに少しずつ装飾を加えたものが、祭りに使われる傘矛の原型となる“一人傘矛”です。そして、これがさらに大きくなると、担ぐスタイルに。さらに巨大化すると、曳(ひ)くスタイルにと変化。この巨大化した傘矛で有名なのが、京都の祇園祭です。華やかな傘矛にも、このような変遷があることを踏まえて祭りを見てみると、おもしろいものです