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「あれんじ」 2010年7月17日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
藤崎八旛宮例大祭

飾り馬と勢子(せこ)たちが
秋空の下、駆け抜ける

千年以上の歴史持つ 放生会(ほうじょうえ)に由来する秋祭り

 熊本に秋の訪れを告げる「藤崎八旛宮例大祭」。にぎやかなラッパの音と威勢のよい勢子たちのかけ声に跳ね、走る飾り馬。毎年、約70団体が飾り馬を奉納するだけに各団体ごとの息のあった行列に、毎年多くの見物客が詰めかけます。
 勇壮な馬追いが目を引く祭りですが、応神天皇を主祭神とする同宮の例大祭は、殺生を戒め、供養のため捕らえられた生き物を放す儀式・放生会に由来し、千年以上の歴史を持つと言われています。
 平安時代から江戸時代までは神社信仰と仏教信仰が融合した神仏習合(しんぶつしゅうごう)の時代で、藤崎宮の中にも大きな寺があり、例大祭では放生会が行われていました。


清正の帰還参りから続く「随兵(ずいびょう)」

 「随兵」の呼び名でも知られる同祭。これは、加藤清正が朝鮮出兵から無事帰還したお礼参りに、兵を従えていたことが始まりと言われています。神幸式は、騎馬神職を先頭に、三基の御神輿(ごしんよ)、御神馬(ごしんめ)の厳かな歩みに始まります。その後ろには、神霊を守る随兵が続き、神と人がともに和み楽しむために、獅子舞、飾り馬が奉納されます。本宮を出発し、御旅所(おたびしょ)へ。そして再び本宮まで帰るこの行列は、鎮座した神様が氏子の様子を見渡す祭事とされてきました。
 また、飾り馬はもともと神職の乗り馬でした。御旅所との距離が近かった時代は馬に乗らず、鞍(くら)に紅白や青黄の布で巻いた太輪の飾りを施し、引き馬として従えていました。途中、足軽たちがはやし立て観衆を楽しませたのが、現在の馬追いへつながったようです。


【教えてください】「随兵行列の今昔」

 現在、藤崎宮は熊本市井川淵町にありますが、明治10年の西南の役で宮社が焼失するまでは熊本城内にありました。当時の随兵行列がどこを通っていたのか、今となっては分からなくなってしまいましたが、おそらく、藤崎宮から新町へ向かう現在のルートとは、逆だったのではないかと言われています。
 また祭りの最終日、朝・夕と1日で行われる随兵行列も、明治ごろまでは御旅所で1泊し、2日間かけて回っていたようです。
 藤崎宮の随兵行列と並び、八代の妙見祭の神幸行列も有名ですが、並び方や傘矛(かさほこ)の特徴などが藤崎宮の祭りに似ています。このことから見ても、おそらく、熊本の祭りは藤崎宮のお祭りが基本形になっているということは間違いないでしょう。(談)