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「あれんじ」 2014年10月4日号

【四季の風】
第27回 霧

霧といえばロンドン。私も二年過ごした。うっとうしい日の続く冬の霧が、印象深い。他方、漱石が詠(よ)んだのは晩秋の霧。「倫敦(ロンドン)にて子規の訃(ふ)を聞いて」と前書のある、虚子宛ての葉書の句である。

手向くべき線香もなくて暮の秋     夏目漱石

霧黄なる市に動くや影法師        夏目漱石   

 一番の親友・子規の死に心も虚ろな漱石。霧に動く人影にも子規の面影を求める、哀切の一句。ただ、この霧は「黄なる」だから、スモッグ気味の霧である。
 そこで、霧で思い出したのが、喫茶「カリガリ」。四十二年余のつとめを終えて、今年三月惜しまれながら閉店。店頭に吊した洋燈に「カリガリ」の字が透けて、意外と霧が似合いそうなたたずまいだった。次の横光利一の句ではないが、ここはパリ、私のモンマルトルだった。

秋半ばモンマルトルの霧を思ふ     横光利一

 ところで私の旅の霧の思い出は、高千穂の幻想的な霧。国生みの神話を大きく包み込む深い霧である。霧こそ、この世のはじまり、もののはじまりに一番ふさわしいものである。

霧とんで魂われを離れゆく    岩岡中正

万物のはじまりは霧かもしれぬ   〃