あれんじのページ

トップページあれんじのページ「あれんじ」 2014年10月4日号 > 建築の歴史を探る フィールドワークの面白さ

「あれんじ」 2014年10月4日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
建築の歴史を探る フィールドワークの面白さ

先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか!

 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第26回のテーマは建築史。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

【はじめの一歩】

 建築史、それも西洋の古代建築の研究と聞いて、ギリシアやローマの神殿や競技場を思い浮かべました。日本での古墳や神社仏閣と同じように、西洋にとっての神殿や教会などは、建築史に重要な位置を占める存在だと思います。「考古学」との境界線はどこにあるのか、興味は尽きません。

「地中海建築」とは?

 「現存する建物の中で歴史上最高峰のものは、ギリシアのパルテノン神殿です」と言い切る、熊本大学大学院自然科学研究科の伊藤重剛教授。「古代遺跡を発掘するのが考古学者で、出土した建造物を研究するのが建築史学者です」

 研究の中心は、発掘現場に出かけて調査するフィールドワーク(現地調査)。毎年夏になると、学生たちを連れてギリシアに出かけます。伊藤教授は、20代のころギリシア留学の経験があり、ギリシア語も堪能。「フィールドワークには、現地の言葉をしゃべることが不可欠です」。現場で仕事をしている人たちと気心が通じないことには仕事が進まないと言います。

 伊藤教授の師は、熊本アートポリス・アドバイザーとしても活躍した堀内清治熊本大学名誉教授。堀内教授は、東京都立大学の桐敷真次郎教授、名古屋大学の飯田喜四郎教授とともに、戦後日本の西洋建築史研究の草分け的な存在として知られています。それまで時間軸のみで語られてきた西洋建築の発展的史観を見直し、ヨーロッパを、アルプスを境とした南北の地域に分けて考えた教授らは、西洋建築の成立と発展に大きく関わった地中海周辺に着目。その地域の建築様式を「地中海建築」と名付けました。

 堀内教授らの説を検証するために、堀内教授を団長に熊本大学環地中海調査団が組織され、昭和44年と46年にそれぞれ約半年にわたって北アフリカから中近東、バルカン半島におよぶ現地調査が行われ、膨大な原資料が集められました。それまで西洋の文献に頼っていた西洋建築史の研究に、オリジナル資料をもたらした画期的な調査でした。

 その堀内教授の話を聞いてフィールドワークに興味を持ち、アメリカ、ギリシア、イラクなどに留学して経験を積んだ伊藤教授は、堀内教授の退官後に研究を引き継ぎ、平成5年からギリシアでの現地調査を進めています。


ギリシア建築の精巧な技術

 ギリシア建築の魅力は、その精度にあると言います。ギリシア人は、太い柱の上にがっちりとした梁をかける技術を洗練させていきました。その頂点に立つのがパルテノン神殿です。「中世のゴシック建築が素晴らしいと言いますが、ギリシア建築に比べると精度が違います。ギリシア人はミリ単位で造っているんです」と伊藤教授。

 現存する最古の建築書は、古代ローマ時代のヴィトルヴィウスが書いたもので、建築の3要素とは「強さ・使いやすさ・美しさ」と述べています。パルテノン神殿はこの3要素を満たし、特に美しさの要因である寸法比例(プロポーション)を実現するのに、非常に高い精度の完璧さを求め、実現しています。西洋の後の建築のための優れた模範となっているのです。


ギリシアの建築家が残した設計図

 ギリシア語で建築家を「アーキテクトン」と言います。このアーキテクトンは紀元前6世紀ごろから存在していましたが、最初は大規模農場を経営する資産家などが、必要に応じて大工の棟梁みたいな役割を兼任するというものでした。それが職業として成り立つようになったのは、紀元前2世紀ごろからです。

 1970年代になってから、ハーゼルベルガーというドイツ人建築家が、朝日の当たる神殿の壁面に引っかいたような均等な線の痕跡を発見しました。当時、紙はパピルスしかなく、広い図面は描けませんでした。そこで、設計用紙代わりに神殿の壁面を利用したと考えられます。「おそらく建築現場の施工図でしょう。図面なしでは建築物は造れませんから、大理石などに設計図を描いていたのではないかと思います」と、伊藤教授は語ります。


伊藤隊の調査研究の足跡

平成6年から3年間、伊藤教授は「デルフィの神託」で知られるデルフィのアテナ・プロナイア神域でトロス(円形建築)、マッシリア人の宝庫、ドリス式宝庫の3棟の大理石造建築の実測調査を行いました。発掘したフランス隊から概略の報告書は出ていましたが、伊藤隊の再調査で1ミリ単位の精巧な仕事をしていたことが分かりました。造られたのは紀元前4世紀、パルテノン神殿より少し遅い時代です。

 その後、平成9年から17年間かけて調査を行ってきたのが、ペロポネソス半島の古代都市メッセネの都市遺跡。この町はスパルタとの戦争に勝った後、紀元前369年にメッセニア地方の首都として建設された比較的新しい都市で、最盛期の人口は約5万人と推定されています。

 一般的に、古代の墓は都市の外にある墓地(ネクロポリス)に建てられることが多いのですが、メッセネのスタディオン地区からは大通りに面して3つの墓が見つかっています。遺物を元にそれらを復元したところ、反りのある円すい形の屋根を載せた「家型墓」(写真1)と判明。都市の中に建てられた墓は非常に珍しく、人目を引く特異な形などから「有力者が富の象徴として建てたのではないか」と、伊藤教授は考えています。

 メッセネではオリンピック・ゲームも行われており、ゴールのアクロポリスに向かって走るためのスタディオン(陸上競技場)(写真2)も建設されていました。調査隊はスタディオン全体を囲む「コ」の字形のストア(列柱廊)の実測と観客席の航空測量を行いました。

 伊藤教授の調査隊は数人から十数人の編成で、毎年夏の2カ月間を海外での調査に充てています。「本当は、考古学者と一緒に発掘からやりたいんですが、なかなか許可が下りないんです」と伊藤教授。一つ発掘すると博士が十人できると言われるほどで、発掘から行えば総合的に研究ができて若い研究者も多く育ちます。

 今年からは、国際的な活動ができる学生を育てるために、軍事政権が崩壊して都市計画が始まっているミャンマーで、新しいまちづくりの調査研究をスタートさせました。その一方で、伊藤教授の個人的な仕事として、熊本の明治期の建物の建築図面をまとめて出版しようと考えているそうです。


(写真1)家型墓。4・5m角で上部の屋根は反りのついた円すい形。ほとんどの部材が残っていたため復元できた


(写真2)陸上競技場(スタディオン)。オリンピアでの競技と同様、メッセネでも競走をして速さを競った。発掘後、綺麗に整備された


メッセネのアスクレピオス神域。左が神殿で回廊で囲まれていた。後方はアクロポリス


アスクレピオス神域調査のときの隊員との記念写真。中央が伊藤教授


【メモ1】ローマ建築は「コンクリート」造り!? 

 ギリシア建築は石造りですが、ローマ建築は実はコンクリート造りなのです。壁の両側の表面にレンガなどを並べ、その間に、石やレンガ片などの骨材と、石灰、水を混ぜて作ったコンクリートを充填(じゅうてん)し、さらに外側に石を張ったり漆喰(しっくい)を塗って仕上げています。コロッセウム(円形競技場)などは石造りに見えますが、中身はレンガ入りのコンクリートなのです。

 当時、イタリアには建築用の石材が少なかったことと、手軽に造れるという長所が、コンクリートの普及につながったと考えられています。

【メモ2】王様と庶民では違う、古代エジプトのものさし

 古代ギリシアや古代エジプトの長さの単位は「キュービット」。昔の長さの単位は人間の体の寸法が基本になっていることが多く、キュービットとはひじから指先までの長さです。最小単位は指の幅を基本にした「指尺」で、その上の単位が手の平を1単位とした「掌(たなごころ)尺」。4指尺=1掌尺、6掌尺=1キュービットです。

 ただし、これは庶民のものさし。王様は1掌尺多く、7掌尺=1キュービットとなります。これを「ロイヤル・キュービット」と言います。

【メモ3】ギリシア人は議論好き

 「アテネ人に布教できたら、世界中で布教できる」。こう考えて、ギリシアまでキリスト教の布教に来たのがパウロでした。それほどギリシア人は議論好きで手強いのです。

 伊藤教授によると「小学生が政治を議論している」国なのだとか。そのせいか、ギリシア語は感情表現よりも論理表現に優れているそうです。「言葉が正確でないと議論ができませんから。ギリシア語を習っている時、数学の公式を覚えているような感じでした」


ナビゲーターは
熊本大学大学院自然科学研究科
建築学専攻
伊藤重剛教授

フィールドでの調査は、楽しくないと長続きしません。朝は6時起床と早いんですが、三食昼寝付きです。