【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
いざ、知の冒険へ!「永青文庫」に 埋もれる宝探し
先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか! 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第21回のテーマは「永青文庫」。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。 取材・文/宮ア真由美 |
はじめの一歩 |
細川家から熊本大学附属図書館に寄託されている「永青文庫」の細川家文書のうち266通が、今年国の重要文化財に指定されることになりました。そのニュースをきっかけに、改めて永青文庫の存在を認識。それらの古文書群と日本史との関わりについてお聞きしたいことがいっぱいです。興味津々、熊本大学文学部附属永青文庫研究センターを訪ねました。 |
【Point 1】「永青文庫」とは? 国内でもまれな歴史資料の宝庫 |
江戸時代を通じて大名家は約300家ほどありましたが、明治4年の廃藩置県の時に各家に保管されていた文書類は県に移管され、その後さまざまな形で散逸したり戦災で焼けてしまったりしたケースが多く、細川家のように膨大な文書類が残っているのは非常にまれです。 |
【Point 2】永青文庫研究センターの研究活動の4つの柱 |
「初代藤孝(幽斎)から300年にわたって蓄積された歴史資料や書籍の全体像を明らかにして、学会をはじめ市民、国民の共有財産にしていくことは、日本の歴史全体の理解のために極めて重要なことです」と、熊本大学文学部附属永青文庫研究センターの副センター長で専任教員の稲葉継陽教授は語ります。 |
【Point 3】江戸時代の熊本から見えてくる自治的な地域行政 |
細川家文書の中には、信長からの書状のように1枚で1点と数えるものだけではなく、厚さ30〜50センチにもおよぶ綴じられた文書が1万点ほどあります。これは、1年分の藩の行政記録を綴じたもので、その中には、地域住民レベルで起案、立案された案件が無数にあり、総目録のさらに次の目録が必要となり、目録作りだけでもキリがないくらいです。 |
【Point 4】近代の日本社会の特徴が明確になった戦国時代を研究 |
稲葉教授の専門は、戦国時代の研究です。「戦国時代は、明治維新と並ぶ歴史の一大転換点だったと考えています。関ヶ原の戦い以降、大坂の陣や天草島原の乱もありましたが、その後の200年以上にわたる平和状態は世界史年表を見てもなかなかありません。江戸の天下泰平は、戦国時代から生まれたものなんです」 |
【なるほど!】 |
目録作りだけでも何年もかかるような膨大な史料の宝庫「永青文庫」。 |
【メモ1】「永青文庫」の名の由来 |
永青文庫の「永」は、京都の細川家の菩提寺であった建仁寺の「永源庵」から取ったもの。「青」は、細川藤孝(幽斎)が織田信長に取り立てられ、京都の長岡京に初めて持った城の名前「青龍寺城」から取られているといわれます。 |
【メモ2】信長文書 |
織田信長は、書状や掟書(おきてがき)など各種の文書を出していますが、現在その文書類は800点弱しか残っていません。そのうちの59点が永青文庫にあります。 |
【メモ3】細川幽斎という人物像 |
細川家の初代である藤孝は本能寺の変後に出家して家督を嫡男の忠興に譲り隠居。幽斎と号しました。この幽斎については、計算高くて腹黒いイメージで見られていました。しかし、永青文庫研究センターの研究から、戦国時代における幽斎の役割が見直されるようになりました。 |
ナビゲーターは |
熊本大学文学部附属
永青文庫研究センター 稲葉継陽(つぐはる)教授 歴史の研究とは、今までの研究を批判的に検討することによって可能性のある仮説を立て、その仮説に基づいて史料を調査・実証する営みです。理系の研究と変わりません。 |