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「あれんじ」 2013年1月12日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
花と昆虫の知恵比べ「受粉の生物学」

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか!
 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第19回のテーマは「受粉の生物学」。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

【はじめの1歩】

 「昆虫が花を見る時、われわれ人間が見るのとは違って見えている」と、以前聞いたことがあります。虫たちは、目の前に広がるお花畑をどう見ているのでしょうか? 花々は、どのようにして虫たちを誘っているのでしょうか? しばし、花や虫の気持ちになって世界を見ることができたら、そこにはどんな風景が広がるのでしょうか?


Point1 「受粉の生物学」の楽しさ

 研究室に入ってまず目に入ったのは、パソコンの中にあふれる多数の花の写真でした。「私の研究分野は『受粉の生物学』と言います。花というのは本来、生殖器官ですよね。キクもユリもランも、昆虫に花粉を運んでもらうという同じ目的を達成するために、さまざまな工夫を凝らして進化してきました。中には、花の概念からはみ出してしまうような変わった形の花もたくさんあります。それは、花粉を託す昆虫との相互関係から生み出されてきたものです。そういった昆虫媒花の受粉の仕組みやその多様性について研究しています」と、熊本大学大学院自然科学研究科の杉浦直人准教授は語ります。
 1本の茎にたくさんの花が咲いている場合、これを一度に咲かせると、隣り合う花の間で自家受粉(近親交配)してしまう確率が高くなり、いい子孫が残せません。植物にとっては他の個体との間での他家受粉が理想です。かと言って、自家受粉を防ぐために1個ずつ咲かせると、今度は目立たないので虫たちにアピールする広告効果が薄れ、受粉の確率が下がります。一番効率のいい受粉をするために、植物はどんな工夫をしているかといったこともフィールド・ワーク(野外観察)を通して研究しているそうです。


Point2 虫をだますために変形した花々

 杉浦准教授が、植物の中で一番興味を持っているのはランの仲間です。花をつける植物の中で、種類の多さではキクとランが双璧ですが、ランは花の形がバラエティーに富んでいて、非常に研究意欲をかき立てられるそうです。面白いのは受粉の仕組みで、ハチやチョウ、カナブン(甲虫)、熱帯では鳥なども受粉に関わっています。彼らは蜜を求めてやってきますが、ランの中には蜜を出さずに、昆虫をだまして花粉を運ばせる種類がたくさんあります。そのようなランの受粉戦略を中心とした研究が、杉浦准教授の専門領域です。
 ランの花は花弁3枚、萼片(がくへん)3枚から成っています。部品は同じはずなのに、種類によって花の大きさや色、形、配置などがまったく違います。それを見ると、ランが受粉をするために、いかに策略をめぐらしてきたかがうかがえるといいます。
 ランの一部が、なぜ蜜を出さずに媒介昆虫をだますようになったのかについては「子孫を殖やすために、蜜を作るエネルギーを節約して種を作る方に回している」など、諸説あるようです。現在、一番有力だと言われているのは「蜜があると、昆虫がいつまでも同じ花茎に留まって立ち去らないので、隣り合う花の間での自家受粉が増えてしまう。そこで、他家受粉を少しでも増やすために、あえて蜜を出さない」という説です。


Point3 レブンアツモリソウのだましの手口
ネムロシオガマ(右)と混生するレブンアツモリソウ

 杉浦准教授は環境省などと協同し、北海道・礼文島だけに自生する固有の野生ランで、特定国内希少野生動植物種に指定されているレブンアツモリソウの保全のために、2000年から研究を続けています。
 研究の内容は、花粉を運ぶマルハナバチの生態やレブンアツモリソウの結実率などを毎年調べて、「花とハチの共生関係」を詳しく解明すること。受粉や繁殖の仕組みが明らかになれば、増殖にも貢献できます。
 最初は、どんな虫が花粉を運んでいるのかさえ分かっていなかったといいます。杉浦准教授の地道な調査研究のお陰で、ニセハイイロマルハナバチの女王蜂が受粉に関わっていることが解明されました。次いで、ハチがどのようにして花粉を体に付けるのか、その仕組みも次第に分かってきました。
 レブンアツモリソウは、蜜を出さずに昆虫をだまして花粉を運ばせるタイプの花です。だましの手口の一つは、蜜を出すよく似た白い花、ネムロシオガマ(ハマウツボ科)と入り混じって咲くこと。同じ季節(初夏)に、同じ場所で同じ高さに、同じ色の花を咲かせます。人間の目から見ると、花自体の形はそれほど似ているとは言えません。しかし、ハチは緑・青・紫外線の三原色でものを見ますから、彼らには似たように見えていると考えられます。咲くタイミングも、マルハナバチの女王蜂が冬越しから目覚めたばかりの時期なので、いろいろな花を見極める経験がまだ浅くだまされやすいのです。
 花の中で一番目立つのは「唇弁(しんべん)」と呼ばれる中央の大きな袋状の花びらです。唇弁には穴が3つ開いていて、ハチは上の大きな穴から袋に入り込み、奥の壁を登って唇弁の付け根の一対の脱出口の一つから出てきます。
 この時、背中に花粉が付くのです。重力に逆らうハチの性質を利用して、手前ではなく奥の壁を登るように、花はうつむき加減に咲いています。壁を登っていくと光の差し込む出口がハチを誘います。ハチの光に向かう性質を利用した仕掛けです。レブンアツモリソウは、このような巧みな仕掛けをさまざまに施して、ハチが必ず雌しべ(柱頭)と花粉のあるところを通り抜けて行くように工夫しているのです。
 また、ハチの背中は毛で覆われているため、粉状の花粉ではすぐに落ちてしまいます。そこで、ジェル状の粘液に花粉を混ぜ込み、それをハチの背中に擦りつけるようになっています。


花から脱出中のニセハイイロマルハナバチ


Point4 花の美しさは“機能性”の美しさ!?

 虫をだます花を観察していると、次第に昆虫は学習し訪れる頻度が下がるので、何日間にもわたって忍耐強く待つ覚悟が必要です。杉浦准教授は毎年数回、初夏から秋にかけて礼文島を訪ねていますが、北海道最北端の稚内の沖合にあるため、野外観察は寒空の下でハチを待つ毎日。研究者も数少ないといいます。
 退屈でつらい、でも杉浦准教授にとっては楽しい野外観察の結果、レブンアツモリソウの結実率は高くて50%、少ない時は数%と、年によって変動があることが分かりました。その数字は、ハチの発生量などに大きく左右されることも次第に分かってきました。
 また、観光客が多くても訪れるハチの数は減りますから、気候や天候だけではなく、複雑な要因がからみ合っているようです。多年草で株の寿命も長く、20〜30年は花を咲かせますが、毎年1株に1つしか実がつかないので、増殖のためにはハチが暮らしていけるような周辺の環境づくりが大切です。
 もともと農学部でリンゴの花粉を媒介するハチを研究しているうちに、次第に花の方へと興味が移り、今では絶滅危惧種の保全にも心を砕く杉浦准教授。「花の営みや受粉の仕組みを知れば知るほど、それまで見えなかったものが見えてきます。“花の美しさ”とは、何万世代を経て洗練されてきた“機能性の美しさ”です。選りすぐりの美を見ているんですから、美しいと感じて当然なんですよ」。最近は枯れた花を見ても、精一杯生きて命を尽くしたことに打たれ、「美しい」と感じるようになったそうです。

◎【なるほど!】
 美意識とは心の有り様だと思います。枯れた花にも美を感じる杉浦准教授からは、花への愛おしさが痛いほどに伝わってきました。欠けた器に料理を盛る、千利休の美意識にも通じるような…。


【阿蘇の珍しい花1】大発見! ヒゴタイの自家受粉防止策

 杉浦准教授は、学生たちの卒業論文や修士論文のために、阿蘇の珍しい植物の観察指導も行っています。
 阿蘇高原で瑠璃(るり)色の花を咲かせるヒゴタイ(キク科)は、細かい花(小花)が集まって球状の花(花球)を形作っています。花球内の小花が一斉に咲くと自家受粉しやすいので、それを防ぐよう各小花の咲く日数と性表現(オス⇒中性⇒メス)を調節していることが分かりました。
 杉浦研究室の学生さんが、小花の一つひとつに番号を振って調べた結果、小花は花球の上から順に咲いていき、上半分はオスから中性に変わったままメスにはならず、上半分が枯れたころに下半分がすべて咲き、その性が同調的に変化しました。つまり、同じ花球内でオスとメスが同居する時期をなくし、自家受粉を防いでいたのです。


【阿蘇の珍しい花2】カキランのアリ受粉
花粉の塊を頭に付けたクロオオアリ

 柿色の花弁をもつことから、「カキラン」と名付けられたランの一種も阿蘇には自生しています。普通は湿地に咲き、足場の唇弁にハナアブが乗ると、唇弁がシーソーのように上がって背中に花粉を背負わせるように進化しています。
 ところが、阿蘇の草原に咲くカキランの場合、ハナアブ以外にクロオオアリも花粉を運びます。アリは体の表面に抗菌物質を塗っているため花粉が殺されてしまうことが多く、アリ受粉は非常にまれだといいます。生物学界でも注目されている阿蘇のカキランの受粉、「ランの花粉は塊で付くので、表面の花粉は死んでも中の花粉が生きているから可能なのではないか」と、杉浦准教授は推理しています。さらに、梅雨の季節に咲くカキランにとって、雨でも来てくれるアリはありがたい存在なのです。
 他にも、阿蘇のツルニンジン(キキョウ科)には、普通は花には来ない肉食のスズメバチが、地味な目立たない花が咲くと、取りつかれたように集まってくるそうです。よほど彼らを引きつける匂い物質を出していると考えられ、「スズメバチ捕獲の薬品開発につながるのでは」と、杉浦准教授はツルニンジンの化学分析をしてくれる人材を探しているところです。


【メモ1】レブンアツモリソウの受粉を邪魔する迷惑な生き物たち

●コマチグモの仲間
唇弁の袋の中は温かいのか、ハチが入ってくるはずの天井の穴を糸でふさいで、袋の中をすみかとしてぬくぬくと暮らしています。

●ガの仲間
白い花は夜目立つので、花を訪れたガが穴に詰まってしまうことも。ガは脚力が弱いので、花粉の粘液を背中に付けても脱出できず、結局、出口をふさいでしまいます。

●カタツムリとミノムシ
花粉入りの粘液や唇弁をかじって食べてしまいます。

●カラス
頭のいいカラスは「遊び」の概念も発達していて、遊びで花を食いちぎってしまいます(チューリップなども食いちぎります)。

 杉浦准教授は、益虫も害虫もひっくるめて、レブンアツモリソウをめぐる生態系のネットワークの研究もしています。


ナビゲーターは
熊本大学大学院自然科学研究科(理学専攻)
生命科学講座
杉浦直人准教授

花との出合いは一期一会、二度と同じ花には会えない覚悟で観察します。