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「あれんじ」 2012年2月4日号

【見る・知る・感じる 熊本まつり探訪】
白い狩衣(かりぎぬ)に編み笠歌と太鼓に跳ね舞う春祭り【なれなれなすび】

開催日:3月10日(土)
開催場所:巌島(いつくしま)神社(山鹿市長坂)

JAかもと夢大地館から国道3号を山鹿市街方面へ車で約5分、菊水ICから車で約15分
(問)山鹿市文化課
☎0968(43)1691

「成れ成れ」と五穀豊穣を祈願

 山鹿市の長坂地区にある巌島神社で、3月 10日に行われる「なれなれなすび」。もとは8月盆に行われていた祭りで奉納されていた踊りで、起源は室町時代とも言われています。
 その後、一度途絶えた時期もありましたが、江戸時代に復活。開催日は、10月、3月と移行しながら受け継がれ、現在山鹿市の無形民俗文化財に指定されています。
 ユニークなのが踊りの名。由来は諸説ありますが、「なれなれ」には五穀豊穣を祈る「成れ成れ」の意を含むという説も。なすび≠ノはどんな意味があるのかは、今となっては分かりませんが、豊作を願う人々の気持ちが込められていたようです。


体そらし足跳ね上げる力強い舞

 踊りは、踊り手、太鼓、歌い手で構成されます。以前は、舞の中心となる踊り手は、地区にある3つの組から若手の未婚男性が2人ずつ、計6人選ばれていたようです。なぜ未婚男性が選ばれていたのかは不明ですが、白い麻の狩衣をまとい、頭には編み笠(がさ)を烏帽子(えぼし)のようにかぶります。歌に合わせ大太鼓が鳴り始めると、身をそり返しながら足を大きく上げたりする力強い舞が続けられます。
 以前は盆の時期に踊られていたこと、また白い狩衣に烏帽子という装いを見ると、念仏を唱えて死者を供養するという神聖な役割を与えられていたのかもしれません。


【教えてください】「娯楽性強い祭りはいつから?

 「なれなれなすび」の踊りは、五穀豊穣を祈願するほか、雨乞いや死者の供養という意味を含む祭りと言われています。しかし時代の変遷とともに死者を供養する要素が少しずつ薄れ、舞や太鼓などが中心になる娯楽的要素が強くなったようです。祭りで帽子や笠をかぶるのは仮装の一種。このような娯楽的要素が祭りに加わるのは江戸時代以降のことです。
 また祭りの中で歌われる歌によっても祭りが行われていた時代を知ることができます。なれなれなすびの「みんみら三
つ…」のような七五調や七七七五調の歌は、江戸時代以降に作られたと言われています。
 ということからこの踊りは、江戸時代に復活した時から少しずつスタイルを変え、今の形になったと推測できるのです。(談)

熊本大学60年史編纂室長(前熊本大学大学院社会文化科学研究科民俗学教授)
安田 宗生氏