すぱいすのページ

「あれんじ」 2017年10月7日号

【四季の風】
第39回 秋風

 「秋風」は、とてもわかりやすく、ひろく親しまれてきた季語。初秋のさわやかな秋風から晩秋のあわれまで、また若者の秋風から晩年の秋風まで、その年齢に応じて思いはそれぞれ。

秋風やひとさし指は誰の墓     寺山修司

 これは、俳句に熱中した高校生時代の寺山修司の作品。「青春のかかえる不安の意識」や「少年の剥(む)き出しの孤独感」(大岡 信)を、身体を通して表現したもの。


渚行くときは旅人秋の風     岩岡中正

秋風や麺麭(パン)の袋の巴里(パリ)の地図   安住 敦

 一句目は、私の比較的若い頃の俳句で、旅人となり即席詩人となって旅をしている姿。二句目は、少しペーソスも含む都会暮らしの哀歓を詠む。「ふらんすへ行きたしと思へども、ふらんすはあまりに遠し」(萩原朔太郎)の叙情。

 他方、老いてからの秋風は身にしみる。たとえば次の句。


秋風やむしりたがりし赤い花     一茶

露の世は露の世ながらさりながら    一茶

 やっと得た家庭の幸福も束の間、晩年の一茶は二歳の愛児「さと女」を失う。赤い花は曼珠沙華か。一句目の秋風も二句目の露も、いかにも哀切で率直、身にしみる。一茶らしい句である。