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「あれんじ」 2012年4月7日号

【熊遊学(ゆうゆうがく)ツーリズム】
意外に面白い!? 物性物理学

 先端の研究者をナビゲーターに、熊本の知の世界を観光してみませんか!
 熊本大学を中心に地元大学の教授や准教授が、専門の学問分野の内容を分かりやすく紹介する紙上の「科学館」「文学館」。それが「熊遊学ツーリズム」です。第16回のテーマは「物性物理学」。さあ「なるほど!」の旅をご一緒に…。

【はじめの1歩】

 物理学は化学に次いで苦手な分野。でも、大学レベルなら面白い話が聞けるかもしれません。今をときめく最先端の物理学とは、いったいどんな内容なのでしょうか?


Point1 「物性物理学」とは?

 「物性物理学」とは、文字通り“物の性質を調べる学問”です。「物質には、例えば電気が流れるものと流れないもの、磁石になるものとならないものがありますね。私たちの研究は、なぜ電気が流れるのか? なぜ磁石になるのか? などを調べることです」と、熊本大学大学院自然科学研究科の原正大准教授は語ります。
 現在、原准教授が取り組んでいるのは、「物質を小さくしていったらどうなるか?」という研究です。基礎研究では、温度が高いと本当に見たい現象が見えにくくなってしまうので、液体ヘリウムという最も冷たい液体を使って、絶対零度に近い低温で実験しています。極限のミクロの世界では同じ材料でも物性がガラリと変わり、マクロの世界では実現できなかったことができるかもしれません。


Point2 「量子力学」の世界

 髪の毛の直径は数十マイクロメートル(ミクロン)ですが、1ミクロンよりサイズが小さくなると、人間の目には見えなくなります。1ミクロンの千分の一である1ナノメートルは、分子1個分ほどのサイズです。原准教授の研究対象はこの大きさの物質です。このようなスケールの研究を「メゾスコピック物理学」(メモ1)といいます。
 可視サイズの世界での現象を研究するのが、ニュートンの時代から行われてきた「古典力学」でした。しかし20世紀に入ると、ミクロの世界での物理現象を研究する「量子力学」が脚光を浴びるようになりました。
 量子力学の世界では、感覚的には理解できないさまざまな現象が起きます。目に見える大きさの世界では、ボールを投げると何秒後にはどこをどんな速度で通過するかが予測できます。ところが、ミクロの世界ではミクロなボールの位置が正確に予測できないのです。例えば電子には、「粒子」としての性質に加えて「波」としての性質もあり、この両方の性質を持っているため、古典力学の世界とは違う現象が起きるのです。
 以前は実証が難しく理論の域を出ませんでしたが、テクノロジーが進んだ1980年頃から、量子力学のミクロの世界を人工的に作ることができるようになりました。


Point3 「人工原子」

 テクノロジーの進歩は、今や「人工原子」を作るところまで来ています。
 自然界に存在する原子では、中心にプラスの電気を帯びた「原子核」があり、その周りに
マイナスの電気を帯びた電子が引きつけられています。そして、引きつけられた電子の数によって原子の種類つまり性質が変わります。一方、人工的に少数の電子を小さな空間に閉じ込めると、自然界に存在する原子と同じような振る舞いをするようになります。これを「人工原子」と呼んでいます。
 研究の流れとしては、まず材料となる半導体(電気を通しやすい導体と、通さない絶縁体との中間的な性質を持つ物質)を加工して、電子が3次元(立体空間)から2次元(平面)しか動けない状態にしていきます。これを「2次元電子系(量子井戸)」といいます。
 それをさらに細くして1次元(線)しか動けない状態にします。こちらは「量子細線」と呼ばれます。最終的には点(ドット)まで小さくします。「量子ドット」と呼ばれるこの状態が「人工原子」です。量子ドットの段階では、電子1個1個を出し入れできるところまで研究は進んでいます。
 量子ドットを使えば、量子力学の基本仮説を検証できるだけではなく、次世代コンピュータである「量子コンピュータ」(メモ2)などの実現も夢ではありません。


Point4 「分子トランジスタ」を目指して

 パソコンやスマートフォンなどに使われているトランジスタは、今ではかなり小型化・超密度化されています。“ICチップ1個当たりのトランジスタの数は、約2年ごとに倍増する”という半導体技術の進化速度を予測する「ムーアの法則」に照らしてみると、2020年ごろにはトランジスタは原子サイズまで小型化してしまうことになります。
 「元の材料を小さくしていくアプローチ法(トップダウン)だけでは限界があるので、小さな原子や分子を組み上げていくアプローチ法(ボトムアップ)も使って、分子1個によるトランジスタを実現することが目標です」と原准教授。そのためにはボトムアップを得意としている化学分野の研究者との連携が大事です。お互いの発想の違いが、新しい発見を生む可能性もあります。原准教授も熊本大学に、そのための研究室を立ち上げたばかりです。
 将来、究極のトランジスタである「分子トランジスタ」を作ることができれば、社会はさらに大きく変わることでしょう。


Point5 「ナノ磁性」の研究

 原准教授の研究の一つに「ナノ磁性」の研究があります。電子の「スピン」(メモ3)に着目した技術で、パソコンなどの電子機器に含まれている多数の微小な磁石の状態を制御・検出する手法の開発を目指しています。
 例えば、不純物が非常に少ない2次元電子系を作ります。電子は不純物があると進む方向が曲げられてしまうのですが、そのようなきれいな2次元電子系では、電子は1ミクロン以上もまっすぐ進むことができます。磁気を感じると電子の直線的な軌道が曲げられる現象を利用して、原准教授の研究室ではハードディスクなどに使える高感度の磁気センサーを作っているところです。
 「磁気を帯びたナノ粒子(磁気ナノ粒子)は、小さいので検出が大変難しいのですが、最終的には1個の磁気ナノ粒子を検出できるところまでもっていきたいですね」と、原准教授。これを医療に応用して、磁気ナノ粒子を標識マーカーとして用い、ウイルスやがん細胞などが磁気的に検出できるようになれば、病気の早期発見・医療費の軽減にもつながります。もしかしたら、人類の未来は明るいのかもしれません。

【なるほど!】

 物質の性質を研究するというのは、物理学の中でも基礎中の基礎だと思っていましたが、その応用範囲は広く、産業革命やIT革命に匹敵する社会の大転換をもたらす可能性も大いにあります。今なら、声を大にして言い切れます。「物理学って面白い!」


【メモ1】 「メゾスコピック物理学」とは?

 英語で大きいサイズのものに対する視点を「マクロスコピック」、小さいサイズのものに対する視点を「ミクロスコピック」と言います。その中間という意味で「メゾスコピック」という言葉が造られました。「メゾスコピック物理学」とは、1ナノメートル以上、1ミクロン以下の世界を扱う物理学の分野を指します。


【メモ2】「量子コンピュータ」とは?

 これまでのコンピュータは、スイッチのオン・オフ…つまり「1」と「0」の2進法で情報を処理しています。スイッチの役割をしているのが、ICチップの中にあるトランジスタです。情報処理能力を上げるにはトランジスタの数を増やす必要がありますが、そのためにはトランジスタのサイズを小さくしていくしかありません。 
 ミクロサイズまで小さくなったトランジスタは、量子力学的に動きます。「同時に1でもあり0でもある」という状態を作ることができるのです。これまでのコンピュータは「2n個(nはトランジスタの数)の可能な組み合わせの中の1個」としてしか動作できませんでしたが、量子力学の世界では「同時にすべての2n個の組み合わせ」として動作しますから、情報処理能力は飛躍的に伸びます。これが「量子コンピュータ」です。
 nの数をどれだけ増やせるかといった課題やコストの問題などもありますが、量子コンピュータの実現に向けて多くの研究者がしのぎを削っています。


【メモ3】電子の「スピン」とは?

 電子はマイナスの電荷を持っています。その電子の流れを「電流」と言いますが、同時に電子は「スピン」と呼ばれるコマ状の回転(自転)に相当する性質も持っています。物質の中には多数の電子によるスピンが存在しますが、それらの向きが同じ方向にそろうことで磁石になる事が分かっています。これまでは電子の電荷のみを活用していましたが、現在ではスピンもエレクトロニクスに積極的に活用する試みが進んでいます。このような新しい分野を、「スピン」と「エレクトロニクス」を組み合わせた造語「スピントロニクス」と言います。
 その代表例は、次世代メモリと言われるMRAM(磁気抵抗メモリ)です。現在パソコンや携帯電話に使われている半導体メモリは、電気的に情報を記憶しま
す。これに対して、スピントロニクスを応用した MRAM では、磁気を使うので大幅な省エネとなり、ノートパソコンや携帯電話の長時間利用が可能となります。さらに、大容量のデータを高速で読み書きできるため、実用化が大いに期待されています。


ナビゲーターは
熊本大学大学院
自然科学研究科(理学専攻)
物理科学講座
原正大准教授

ナノの世界は自由度が高く、
無限の可能性があります。